鈴木拡樹ファンが悲伝の三日月宗近の注目ポイントをまとめてみた

観た全ての公演において、ひたすら鈴木拡樹、というか三日月宗近定点観測マンをしたので、残しておきたい記憶と共に、皆様にも是非注目して頂きたい部分をまとめてみました。

銀河劇場公演も明日から始まるのに遅い? オイもう始まったぞ!!!!!! ですよねいい加減にアップしないと今度こそ色んな方に怒られそうだなと思いました!髑髏城の卒論がまだのワタクシです。ダイジョウブ  ワタシ  ドクロジョウ  ソツギョウ  シナイ…

 

※ 完全にネタバレを含んでいます。
※ 見てほしいポイントをまとめた上で、何故見てほしいのかの理由についても記載しています。理由については思いのほか長くなったので、お時間の無い方は「注目してほしい理由」はすっ飛ばして下さい。
※ 理由の部分で作品解釈について言及する部分がございます。
※ 三日月の表情についてはめちゃくちゃ双眼鏡を覗きながら確認しているので精度高めかと思います。


※観劇:

  • 明治座公演ライブビューイング(1回)
  • 明治座公演(3回:真ん中、真ん中、ド上手)
  • 京都公演後半(1回:上手)
  • 福岡公演(2回:上手、下手)
  • 青年館公演(2回:上手、真ん中)
  • 銀河劇場(1回:下手)←NEW!

 

それでは、 推し語り はじめよう

 

全般

注目ポイント

注目してほしい理由

天魔王!天魔王のことじゃないから!!表情筋120%使ってた初期天魔王様のことじゃないから…!!(分かる人だけ分かって下さい)

丁寧に書かせてもらうと、顔の上げ下げや視線の隠し方、陰の作り方、です。

少し話はズレるのですが、Twitterにおいて何度か書き残している通り私は鈴木拡樹の殺陣を上から眺めるのがとても好き。「諸君 私は鈴木拡樹の殺陣が好きだ」で某少佐のように演説を始めたいくらいには殺陣が好きで、中でもそれを上から眺めるのが好き。それは、前方席であろうと後方席であろうと角度が違うだけで同じ見え方をするからです。

鈴木拡樹は「どうみせるか」を常に探求している役者だと思います。この「みせる」は「観せる」でもあり「見せる」でもあり「魅せる」でもある。鈴木拡樹という役者は、演じること、全ての人に等しくそれを同様に届けること、に対して大変ストイックな役者だと思っているのですが、その鈴木さんが、積み重ねてきたものを最大限に引き出して、こちらに解釈のボールを投げてくれているのが今回の刀ステのように思います。

三日月においては「能」の動きを取り入れたり、大仰でいて大らかに振舞うことで食えないじじいらしさを表現したりしていますが、刀ステの過去作では個人的所感ですがその所作にオーバーさを感じることも多々ありました。(これは、「舞台」を映像化している点にも原因はあると思っていますが。)

しかしながら髑髏城の七人の天魔王を経て、色々なものが削ぎ落とされ、いよいよ刀ステ本丸における三日月宗近らしさが極まってきたと思います。静かにして泰然とした三日月宗近です。

本筋に戻りますが、特に今作「悲伝」において鈴木拡樹の真骨頂だと感じたのが「表情の作り方」です。

表情を揶揄する際、「能面のような」は褒め言葉ではないと思います。褒め言葉ではないのですが、私は常々、演者「鈴木拡樹」はいつも能の面(おもて)をつけているようだと思っています。

明治座においては、そこまで大きなアクションは取っていませんでしたが、京都後半、福岡、そして青年館ではそれが顕著になっていました。
末満さんしかり、鈴木さんしかり、自分がどうであるか、という根幹を定めた上での「受け取り手が受け取ったことが全て」「受け手が好きなように受け取っていい」という演出、演技をされると思っているんですが、その鈴木さんが、明確に誰にでも分かるように演じる、ということは、そのように受け取ってよい(=その解釈で演じてるという発信)だと思っています。

で、能面の話にさらに戻るんですけど。

能の動作をしている人が、能の表情について学ばないはずがないと思うんですよね。

能では主役をシテというのですが、シテは神様や鬼、幽霊など異界の者であることが多く、観客はシテを通じて「あちら側の世界」を垣間見る者。こちら側とあちら側を繋ぐ役割となるシテは、舞台上で生身の人間としてではなく、異界の者になりきることが求められます。

装束を身にまとい、全ての支度が済んだ演者は、「鏡の間」と呼ばれる舞台のすぐ奥に位置する特別な部屋で、鏡の前で厳かに能面を身につける。能面を身につけることは「つける」ではなく、「かける」と表現されます。魔法にかけられるような「変身」「憑依」の意味合いが感じられる、と。鈴木さんの三日月の演技はまさに、「面をかける」のように感じます。

能面は、面 (おもて) とも呼ばれますが、おもてに見せる顔をつけることで、演者はそのウラの暗闇の中に姿を隠すのだそう。

表情のない面をつけて演じる能では、感情を面の様々な向き、演者の姿勢を使って表現します。例えば、幸せなときの「照らす」姿勢では、顔は上を向く。悲しみを表す「曇らす」姿勢では、顔は下を向く。嬉しかったら上を向き、悲しかったらうつむく。

しかしながら面白い研究結果が出ておりまして、わたくしから説明するよりは読んで頂いた方が早いのでリンク貼ります。

news.mynavi.jp

ね。面白いですよね。

嬉しかったら上を向き、悲しかったらうつむく。のに、実際に受け取る感情は逆なのです。

悲しみの中でも喜びの表情を浮かべ、喜びの中で上を見上げれば悲しみがわく。今回は特にその見上げた先に太陽があるのかと思うとムリみでしんどみ。(語彙力)

感情の機微を動きでみせる。

三日月宗近の表情を見ることは隠された心を知るようで大変楽しいのです。

是非、皆さまにも三日月の表情・動作を追って頂きたく思います。

 

なお、この面(おもて)の見え方ね、「情動キメラ」っていうんですよ…。キメラ…キマイラ…どこかで聞いた単語ですねぇ…。

キメラの表情を持つ三日月。そう考えるだけで意味深に思えてしまうオタクワイ

三日月宗近登場、そして殺陣。

注目ポイント

  • 左側通路より颯爽と現れるさま
  • 何より注目してほしいのが殺陣!殺陣の精度は今までの刀ステと比べても段違いに上がっている
  • ウィッグのボサボサ加減が今までより軽減されている(笑)
注目してほしい理由

私が鈴木拡樹さんを応援している理由の一つは殺陣です。もともと殺陣が上手いと言われていた鈴木さんですが、2017年11月~2018年2月に出演していた『髑髏城の七人 下弦の月』において『天魔王』を演じてから、その殺陣のクオリティの上がりようは目を見張るものがあります。

特に今回の「悲伝」においては、「鵺と呼ばれる」が三日月の太刀筋を真似る演出があります。鈴木さんの殺陣の中においても、より三日月の太刀筋を印象付けられるよう、明確に、しかしながらさりげなく演じられています。ッヒューーーー!さすが推し!好きです。

注目ポイント(番外)

  • 明治座におけるすっぽんから現れる三日月は、役者鈴木拡樹がすっぽんを使用するような役柄を演じていること、三日月の刀剣男士から逸脱しているさまをありありと突き付けてくるところがWでおいしい
注目してほしい理由

明治座公演が実施されるにあたり改めて色々調べてみました。

「すっぽん」とは舞台のセリのうち、花道の揚幕(出入り口にかかる幕)から七分、本舞台から三分の位置にあるセリのことを言います。

この「すっぽん」、歌舞伎においては「すっぽんを使って登場するのは人間以外であり、妖怪変化や幽霊・忍術使いなどの役が登場する時に使われる」という約束事があります。

例え普通の人に見えても、すっぽんから登場したものは、既に亡くなっているなど、人間ではないということが分かる、ということです。

刀剣男士は何者か、という考えは人それぞれあるかと思いますが、少なくとも彼らは私達と全く同じ「人」としてカテゴライズすることは出来ないと思います。そのため、私はのんきに「すっぽんから出てくるのは誰かな~三日月と山姥切は使うだろうな~あとは極男士くらいかな~」なんて初見前は考えていたわけです結果死にました

刀剣男士と似て非なるモノ、刀剣男士をも超えたナニカ。

三日月宗近がすっぽんより登場するシーンに是非ご注目下さい。

狂い咲きの桜を見つめる三日月の表情

注目ポイント

  • 明治座~福岡公演においての悲痛さと諦念を滲ませた喪心した表情、そして青年館公演においての落胆の中見せる考え込む表情
注目してほしい理由

福岡公演までと、青年館からの演技が変わってきています。青年館公演では、他の公演と違って前回公演からしばらく間があいていること、その他のキャストの方々でも演じ方を変えてきていることから、何かしらのテコ入れが入ったのではないかと思っています。

注目すべきは、福岡公演までは狂い咲きの桜を見て「やはりこの時が来てしまったか」とでも言いたげな落胆した悲しみの表情だったのが、青年館では「季節の狂いに目を細めつつ、今までとの差異にふと考え込む」演技に変わっていたことです。狂い咲きの桜を見、ふと目線だけを落として何かを考え込む、そんな演技です。な、なぜ変えてきた!?!?

銀河劇場ではどうなってしまうんや…。自分でも注意して確認したいポイントです。

「儂が死すのは何度目だ」

注目ポイント

  •  義輝に問われ、驚く三日月
注目してほしい理由

今回の悲伝については色々な解釈をお見かけします。その中で、このモノガタリはどのループの時の話なのか、三日月は「何度目」なのか、についてはよく取りざたされているテーマかと思います。

このシーンにおいて三日月は義輝に問われた際、思わず動きを止め振り返る。このことから義輝から「上記問いを問いかけられたのは初めて」と考えることが出来ます。そう考えると、悲伝の三日月のモノガタリは「鵺と呼ばれる」三日月が言うところの「歴史の異物」が現れる以前から今までとは違ってきている。特異点は鵺だったのか?それとも本当は義輝であったのか?それとも、結いの目の三日月であったのか?

ところで「いぶつ」と打とうとしたら「異物」ではなく「遺物」と出てきました。ワーこちらだったら怖いですね…。遺物に寄せられた思いが鵺を形作ったんでしょうかねえ…カンガエンドコ……。

倒れ伏した足利義輝を見つめる刀剣男士達 

注目ポイント

  • 舞台から表情が見えないような角度での立ち位置(上手)
  • 階段状の立ち位置において、左足を一段下に下げているところ
  • 足早に去るその姿 
注目してほしい理由

このシーンにおいて、三日月の表情は前下がりの前髪に隠れて見えません。見えるとしてもよっぽどド下手でしょうか…。

※2018/07/26:下手から普通に見えました…

倒れ伏した義輝を見ながら刀剣男士達はこれからの未来に語るわけですが、三日月は微動だにせず真っ直ぐに義輝を見てい(るように見え)ます。(追記:ひたすらに真っ直ぐ義輝を見つめていました。さらに、これから激動の時代~と言ったセリフの際、悲し気に目を細め振り切るかのように目をグッと閉じていました。)そして、ついっ、と下に顔を逸らしたかと思うと、気持ちを切り替えるかのようにいつもの三日月の声、所作で「さあ、長居は無用だ」と皆を促し、自分は振り返ることもせずに足早に去っていく。

あの三日月宗近であっても、冷静でいられなかったのは、それが「足利義輝」だったからなのでしょうか。それともこの時間の歪みのせいでしょうか。

え、真ん中の注目ポイント?趣味ですなんか分からんけどすごい好きなのでみんな見て!!!!!!!!

いつものはずの、モノ語りのはじまり 

注目ポイント

  • 展開を知っているとしんどい
注目してほしい理由

雑な注目ポイントで申し訳ない。申し訳ないんですが、これ以上適切に言語化することができないしんどい…。

今までの刀ステ作品において、出演していないジョ伝ですらこの始まりの「語り」は三日月である鈴木さんが演じてきました。しかしながら今作においては最後に山姥切が語るダメもうムリ思い出してしんど…。今やこのナレーションを聞くだけで泣いてしまう体になってしまった…。

ところで明治座6/4だったかな?6/5だったかな?この時のスクリーンのど真ん中にカーソルあったのミマ忘レナイ……

顕現

注目ポイント

注目してほしい理由

サイコーかっこいいいのでみんな見て!!!!!!!!!!!!!!! (IQ 2)

Opening

歌詞の精度が低いのでいつも歌っている人の口元を見ようと思いつつ涙を拭うのに必死で惨敗した結果がこちらとなります。

糾える 出会いと別れ 行った末に何が見えた

置き去りにされた季節の花染め舞う刀

物語る螺旋の中 ???故に ????? 浮かぶ波紋打ち消して

もう触れないのは美しの色 夜に滲む

繋ぎ止めて 縺れた時 心あるが故に想う

辿るよすが 永き刹那

悲しみに咲いた 花びらひとひら 天に散る

 

繋ぎ止めて 縺れた時 心あるが故に想う

辿るよすが 永き刹那

悲しみに咲いた 花びらひとひら 天に散る

  • 糾える(あざなえる)は最初「贖えぬ(あがなえぬ)」とも「抗えぬ(あらがえぬ)」とも聞こえたんですが、2音目が濁っていたのとGaよりはZaっぽいので「糾える」が正解のような気がします。
    「糾える」の意味は「紐などが寄り合わさった様子」です。「糾える 出会いと別れ」の時点で あっ察し ではないでしょうか。なお、糾えるの慣用句と言えば「禍福は糾える縄の如し」かと思いますがこれは「災いと福とは、縄をより合わせたように入れかわり変転する。吉凶は糾える縄の如し。」という意味ですオッケー次回作の副題は福伝ということでよろしいか?????悲伝の再演でもいいよ。
  • 「置き去りにされた季節の花」は何を指しているんでしょうか?「置き去り」で今回イメージするのは、時鳥と三日月でしょうか…。
  • 歌詞はまだ分からないところも多いので三日月と絡めて考えるのは難しそうです。

内番手合せ、そして刀とは

注目ポイント

  • 「おや 誰か噂しているようだな」「山姥切よ」 少し低めの、良く通る声
  • 山姥切「修行の申し出があった時はまさかと思ったが」ポンッ の音に合わせてポーズするところ、銀河:ポンに合わせず普通にポーズしてました。
  • 明治座~福岡:山姥切に修行を進めるも断られ、自分の手を見て寂し気に笑うところ、青年館~銀河:期待して伸ばした手を自嘲するかのように悲し気に一瞬見る
  • 小烏丸の「刀とは何ぞや」を聞く三日月宗近の表情
  • 山姥切のおやつを食べてしまいガシッと山姥切に詰め寄られる際の表情

 

 

ところで三日月ではないのですが、このシーンの小烏丸の「おお~三日月宗近~~♪」、はちゃめちゃ可愛すぎません!?!?動作もウキウキした声も父めっちゃ喜びよるやん…かわいいかよ…ってなりました玉ちゃんさすがぁ…。

 

ここで力尽きたので、続きはまたいずれ…。

追記:カットミスって本当に中途半端なところで切れてたわろたwwwおもしろいのでこのままにしておきますw)