髑髏城の七人 Season月 -下弦の好きだったところとか調べたこととかダラダラ書いただけのやつ- ※留年決定→補習ありで院へ進学

\ サンキュー! / 

 

ワッツニュー!ゲキ×シネ上映と花鳥風月極パッケージBOX化!!!オイオイ昼間っから号泣しちゃったぜ~。

ということで大好きな作品、劇団☆新感線の「髑髏城の七人」が円盤化することになりました~~!!いえーい!!ウ、ウレシ~~~~~~!!!!!!! 

 

あまりに嬉しいのでやっとこ下弦のブログを上げることにしました。まさかの一年越し。(※下弦千穐楽は2018/02/21)

※しかも天蘭生駒が終わらなかったので留年確定しました。

→2019/03/23:天蘭生駒追記しました!!!ヤッタゼ!!!

 

今まで拝見してきた皆様方のブログみたいに考察したりだとか熱い思いをぶつけたりだとか推しである鈴木拡樹さんの魅力を伝えたり魅力を伝えたり魅力を伝えたりとかしたかったのでずっと下書き状態でしたが、気付いた。私に文才がなかった。第3部完!ミマコ先生の次回作にご期待ください!!

ですので、本当に標題の通りだらだら書き連ねてあるだけです、すいません。あまりにも長くなったので、目次付けたのでお許し頂きたい所存。あと、私の解釈が多大に含まれるので読む場合は自己責任でお願いします。

 

それでは、劇団☆新感線の髑髏城の七人 Season月の下弦を見たオタクの備忘禄、よろしくお願いします。気になった方はWOWOWで3/23に下弦が放送するよっ!見てねっ☆

 

 

WOWOW公式

www.wowow.co.jp

 

※以下、作品を見ていない方にとってはなんのこっちゃな内容ですのでご注意下さい

 

 

「髑髏城の七人」全体の感想

髑髏城の七人。私の魂を震わす舞台との出会い。そしてその舞台に今応援している役者が立っていたこと。このたった2つ、でも大きな2つが揃ったこの経験は、とてもとても得難く、奇跡のような出来事だと、今振り返ってみてもそのように思います。私の中で特別になった舞台。

つい先日のことのように最後の観劇を思い出せます。

Judas PriestのHeavy Duty*1が流れ、瞬間照らされる劇場内、新幹線の発車ベルがなり、そして聞こえる重低音と共に、揺さぶられるあの感覚、初めての時のワクワクとしたあの高揚感。今いる現代から戦国の時代へと沈み落ちるかのような錯覚を覚える浮遊感。その先の世界を照らすかのようなスクリーンに輝く青々とした月。

私の髑髏城シリーズ初観劇は12月9日下弦でした。

友人の勧めで観劇前ネタバレなしで見ると決めたので役名すら確認せずの観劇。公式ホームページもチケットのページしか見ませんでした。

初見の時一幕終わり↓

アッ(察し)

 

初見の時二幕終わり↓

 

初見時は頭がキャパオーバーで、ステアラの外でひたすら「無理…つらい…」ってなっていた記憶があります。

だって一幕からあんな感じの繋ぎ方しといて二幕であの展開ですよ!?

あの流れだったら、「一人で無鉄砲に敵陣に乗り込んだ蘭を霧丸がうまく助け出すし、一度天魔王に敗北を期すものの、最終的にはチーム捨は天魔王を止めるし、捨之介は最後まで最初のように笑ってると思ったし、最後はみんなの笑顔で 完!みたいな流れになる」とか思うじゃん!?

最後に蘭は絶対に捨之介側に戻ってくると思っていたし、おっとぅが四人を追いかけるシーンでは、兵庫を庇って死ぬ死亡フラグだと思った。…思ったんだよぉ…。

いやほんと、そんな展開であればこんなにこの作品を拗らせなかった…と思うんです…そうじゃないから今でも血の涙雨が…止まらなくて痛い……。…捨ちゃん…わたしにも傘を差しだして………。

茫然自失し打ちひしがれながらついた帰途。気付いたら帰りのゆりかもめの中で12/23の下弦と12/24の上弦のチケットをローチケでゲットしていた。何言ってんのか分からねえと思うが思い返してみても私も何してんのかよく分かんない。

 

下弦の感想を銘打っていますが上弦の印象兼感想を少しだけ書かせて下さい。

上弦。若者同士のぶつかり合い。恒星と恒星と恒星がぶつかり合って、ビックバンじゃん…って思っていました。ぶつかり過ぎて回りにブラックホール出現してたよな???ここ磁場狂ってない???上弦くん沼どころじゃないやん???感情の三半規管が死んだ!!!!!!!という感じでした(上弦天魔王さまが人を椅子にし出したときの気持ちほんと…ほんとアレ……)(早乙女太一なんなん??鈴木拡樹と同じ台本渡されてるんだよな?????あそこであの動作だけでヒト椅子にする???????なぜ他人の髪を手に取ってその人の口に入れた??????????????こっわ……………………)

昏倒したところに夢見酒ぶっこまれてる気分でした。もう泡ふいてんのに全然やめてくんない奴上弦。ほんとヤクザ。

いや、問題児か?????いい加減にしないとセンセーおこるよ?のやつだったよね??????まあその先生方が総じてドンズボってたけど…生きて…帰れてよかったよ上弦のオタクさんたち………。…亡霊は生きているに含まれるのか……?

 

伸び伸びと奔放に舞台の上で生きている。まるで髑髏城という一つの生き物のようだった。得も言われぬ恐怖も感じたのは上弦でした。

 

で、上記の通りゲットしたチケットで入った12/24の上弦で「…いす…???……???????」って混乱しながら帰宅して、そして気付いたら今度は年始の下弦のマチソワのチケットが手元にあったんだなこれが。ッカァ~~~~~!こ、これだからダブルチーム制はよぉ~~~~~!!!バシーーン!!!!!!!(力強く札束を叩きつける擬音と絵文字)

 

「いいかぁ?こちらが上弦こちらが下弦。お前がつなげるべきは?はぁ~い↑↑ここ、ローチケ髑髏城トップページだな」って脳内のかげんてんまぉさまが言ったんだよね、わたしに。下弦の従順なる僕なのでハァ~~~かげんてんまおさまほんと好き……とか思いながら取るチケット最高でした。ありがとう順次解放席。ありがとう出戻り席。ありがとう関係者席。ありがとう前日先着当日券。ありがとう!そしてありがとう!!

 

そして、転機が、この時取った年始1/3公演だったと思います。

上弦と下弦を立て続けに観劇したこともあって、見る視点が変わってきました。そして、強く強く、下弦が好きだ。と思ったのもこの頃からでした。

 

そこから先は転げ落ちていくように……というよりは風を切って走ることの楽しさを覚えてしまったように関東荒野を駆け抜けました。皆さんのライブ感溢れる日々のレポを追い風にして。

来る日も来る日も下弦のことを考え続けていた期間でした。12:30、14:00、18:00(念のために時間あってるか月の公式確認しに行ったらマクベスに誘導されるように書き換えられていたの新感線くん怖ぁい……)(これ下書き書いていた時まだメタマクくんやってたらしいねパンさん筆が遅いねウケるね(ウケない))、仕事をしながら今頃ジューダスがかかっている頃かと考えたりました。夜は皆さんの考察や解釈を見ては次の登城に想いを馳せました。

おかげでチケットが気を利かせて分裂し、気付いたら手元のチケットが増えていましたね。いや、あの、チケット、本当に勝手に増えたんですよ…無意識で……すごいよね…………。分裂したんじゃないなら、きっとおばけのしわざかな……??なんてやさしいおばけなんだろ!…最近とんと見かけないんですけどね…月髑髏チケット……どこに行ったら会えるんだろうなぁ……さみし……………。

そんなことを繰り返していたおかげで日々ローチケを開くのがうまくなっていきました。ありがとうございます。おかげさまで推しの朗読劇の一般チケットやらなんやらが取れました。人はこの歳からでも成長出来るんだなあ。みまを。

 

ただひたすらに毎日が楽しかったあの日々。今日は別に入らなくても良かったな…って思う日が全然なくて。

一緒に駆け抜けた髑髏党員の皆様も、同じだったらいいなあと思います。

アドリブやその日しか見れない何かを観たくて通ったわけじゃない。毎回毎回新鮮に髑髏城が面白かった。

 

そうこうしていたら、気付いたら上2、下13(+ライビュ1)合わせて15(+1)回豊洲に行ってました。たくさん見たいと思っていたわけではなく自然と足を現代の関東荒野に運んでいました。15/128。数にすると少ないなあ…。でも幸せでした。でもやっぱりもっともっと行きたかった。合法シャブ、最高だったなあ楽しかったなあほんと…。多幸感を合法で味わえる髑髏城…たまらんかったです。

 

天魔王が生まれた日も、最初の晴れていた関東荒野も、みんなが笑った無界の里も、再びあの三人が会した場所も、月を見上げた宴も、一面の白曼珠沙華*2も、夢見酒も、誰かの絶望も、蹂躙された命や思い出も、決意の目も、悲哀の過去も、信念も、絆も、零れ落ちたものも、そしてあの朝焼けも。

「髑髏城の七人」が大好きでした!!!!

 

「下弦の感想」

正直私が当初下弦が好きだった理由。カタルシス。この一言に尽きると思います。

カタルシス

悲劇が観客の心に怖れと憐れみの感情を呼び起こすことで精神を浄化する

ウ、ウワ~~~わたしと髑髏城のためにある言葉かな??(寝言)

 

下弦の登場人物達にはひときわシンパシーを感じずにはいられませんでした。出てくる登場人物全員に、その人にとっての「悲劇」が見え隠れする。その見えない過去のかけらを拾い集めながら彼らを理解しようとし、心が折れることを恐れ、そしてその不安を裏切って「明日を生きる彼ら」に安堵し励まされる。ズタボロになったって明日はいい天気かもしれない。そう思わせてくれたのが下弦でした。

 「今日がダメでも明日があるさ 明日がダメでも明後日があるさ」

悲劇を乗り越え、しかしながらまだその傷に囚われたまま終わる、その下弦の悲劇性を私は愛していました。あの朝焼けの先に、明るい未来と、一歩足を踏み外せば今度こそ何もかもが壊れてしまいそうな危うさをはらんだあの終わりを愛していました。大団円では終わってほしくなかった。

そう思っていました。前楽と千穐楽を見るまでは。 

誰一人知る人もない人ごみの中をかき分けていくときほど、強く孤独を感じるときはない。

ゲーテの言葉ですが、それまでの捨之介は、この物語の後に、初めて孤独を知るんじゃないかと思っていました。殿も死に、蘭も天も、かつての仲間は誰一人おらず、小さい頃からの初めての一人ぼっちです。だからまたフラッと自分の命を誰かのために簡単に投げ出してしまいそうな危うさがあったし、そんな状態であることを分かっているから霧丸は捨之介の後を「追う」のだと。

ですが、前楽である2/19の公演は、とにかく出演者全員の気持ちという気持ちが、感情というものが、熱い熱い熱を持って板の上で渦を巻き、絡み合い、こちらの感情までも焦がしながら、お互いを焼き尽くしてしまいそうで、そしてその感情は決して理性から外れた激情ではなく、彼らの根底にある「愛」によるものであることが伝わってくる、そんな公演でした。見ている方ですら、辛く悲しいあの出来事を、真正面から受け止める彼らを、私も歯を食いしばりながらも目をそらさずに見た。

…ずっと後悔し続けて欲しかった。幸せになってほしい。でもふとした時に心を苛む小さな刺を抜いてほしくない。心から笑って欲しい。でも、わたしは天を忘れないで欲しかったんです。下弦天の中の人のオタクの戯言です。でも天に囚われていて欲しかった。だから大団円になって欲しくなかった。

でも、2/19のあの日の彼らはきっと忘れない彼らだったんです。傷を癒してその痕が消えてしまっても、傷を負ったことを忘れない。その過去を抱えながらも、きっと笑って「いい天気だなあ」って心の底から言う、そんな未来を想像させる終わりに、私の凝り固まった鬱屈した想いが瓦解しました。

そして千穐楽である2/21。あの体から迸るエネルギー。命の奔流。血のように噴き出したかのような壮絶な感情の発露。それまではやはりどこかで劇団新感線の髑髏城の七人という一つの舞台として客観的に見ている部分がありました。けれどあの日は、捨の天の蘭の霧の極楽の兵庫のみんなみんな一人一人の生き様を見ているかのような…。全てがあまりに壮絶で……。今までとも前楽とも違うのに、今までも最高だったのに、最後の最後で見せられたあれは、これまでより静かで、輝いて、しなやかで、熱くて、悲しくて、辛くて、何より力強い、最高の最高の下弦の月だった。

ほんっっっっっっとうに…最高でした。

結局、物語としてはやっぱり大団円ではないのでしょう。もしかしたら過去の傷に打ちのめされる日もあるかもしれない。でももうあの捨之介はもう自分の命を擲うったりはしません。もしも霧丸が傍にいなくても。

千穐楽の最後のあのシーンは「夜が明けた」のではなく、「これから朝が始まる」んでしょうね。

下弦がこんなにも愛おしい。今日もいい天気ですね、髑髏党員の皆さま。

 

ところであの千秋楽が映像に残らないとか人類の損失なんですけどォ??????

※月髑髏の千穐楽の上演中、見える範囲にカメラは入っておりませんでした。(恒例の千穐楽挨拶は撮っていた模様)

マヂむり……ヴィレッジくん…頼むてほんま…………………。

 

「捨之介(演:宮野真守氏)の感想」

下弦捨のーー!宮野捨のぉーー!!すきなとこーーー!!

※「捨之介」は髑髏城の登城人物としての、「下弦捨」は下弦チームの人物としての、「宮野捨」は宮野さんらしさあふれるキャラクターとして、記載分けしておりますつもりでございます。以下他の人物も同様のつもりでございます。

  • 登場時のセリフ「いけねぇなぁ ここで逃げちゃあいけねえ」がスーーーパーーーーイケボ
  • 太ももあらわなおみあし
  • 声だけで伝わる捨之介の表情
  • 「くる!」と思ったところにくる、拍子木の音にピタリとハマるリズム感溢れる台詞回しと動作
  • 「さて、無界の里は、っと。 おっ あそこか♪ ハッ(ハワワ」の一連の演技(辺りをキョロっとして体をひねって無界の方みるあのーー動作がさぁ~~~??????)ちょっとすけべ感出してるところがいい
  • 無界屋ララランドでガールズに「手を差し伸べるところ」(なお上弦捨はガールズが差し伸べた手に自らの手をのせるよ!上弦捨おまえ!そういうところだぞ!!!!!!!! 「招かれる上弦捨」に「エスコートする下弦捨」……しゅ、しゅてのしゅけ~~~しゅき~~~~~!
  • 無界屋ララランドの楽しそうなことといったら!最後の大千穐楽にみんなで一緒に手拍子出来たのうれしかった!
  • 狸穴とお互い名乗る際の化かしあいっぽい空気
  • ガールズに夢中な荒武者隊に何度も放り投げられる霧ちゃんをずっと後ろから抱えてるところ(会ったばかりなのにもう自分の懐に入れちゃうの???下弦捨パーソナルスペースどうなってんの???)
  • オフマイクでネタぶっこんでくるところ
  • 蘭兵衛が登場して安心するのに、それでも髑髏党を倒していく中でも霧丸をかばうポーズを崩さないところ
  • 蘭兵衛に名乗る際の川をぴょんっぴょんっしながらの「浮世の義理も 昔の縁も 三途の川に 捨之介 ってね!」ニカッ!
  • 蘭に対する「いい道を選んだ」の真摯なやさしい声
  • 霧丸に言い聞かせようとするたびにはがれる「捨之介」の仮面
  • ギクシャクしてたのにおっとぅが出てきた後にひしっとくっついてる捨霧(大型犬とこにゃんこですか…?????)
  • 「今度は間に合わせる」と言って蘭の頭をポンポンするところ(頭ぽんぽん下弦殿の癖説めっっっっっちゃすき)
  • 贋鉄斎ルームをめちゃくちゃエンジョイ。お茶目だもんね。。。しゅき…
  • 信長に仕えていた頃を霧丸に語る際の、遠い昔を夢見るような表情と声
  • 過去を見ていた霧丸にさえ「明日」を思わせる真っ直ぐすぎる理想
  • 蘭に切りかかられた際の悲壮な声
  • 夢見酒の夢から覚めた後から先の唸るような声
  • 百人斬りの捨霧コンビネーション(つ、通じ合ってる~~~…!しゅてきり…とぉとぃ…………ビェ……………)
  • 「天」を容赦なく「地へ落とす」無自覚の非情さ
  • 最後まで蘭のことも天のことも「理解出来ていない」ことに気付かない傲慢さと失ってから気付く悲哀
  • 悲しみに狂ってなお「自己犠牲により」「仲間」を救おうとするところ
  • 霧丸に「生きろよ!!!!!」と言われて、くしゃくしゃになって泣くところ
  • そして太夫に縋りながらも生きようと立ち上がり、「また会うぞ!」と言うぐしゃぐしゃ笑顔
  • 一人関東荒野に立ち、笑う際の声(本当に抜け出せたことに対する勝利の笑い声にも、本当に一人生き残ってしまったことに対する乾いた笑いに聞こえる。…さ、さすがみやのまもるゥ…)
  • 霧丸や仲間に言われて拾った命でさえ捨ててでもこれ以上の血は流したくないという、その綺麗過ぎる理想をここまで来ても抱えるその弱さと強さ
  • 家康に真っ向から向かっていく霧丸に取り乱して助けようともがき暴れるところ
  • 縄を解かれ、お互いに生きていることを確かめるように、縋るように、手放さないように、捨霧がお互いを抱きすくめるところ
  • 金五百枚!に怒る半蔵から、丸腰のまま霧丸や仲間を守ろうとするところ
  • 去る家康に、涙を溜めて、泣き出す寸前の顔で、深く長く礼をするところ
  • 「口で言うほど 捨てるっていうのは 簡単じゃねえなあ」
  • 一人一人と去っていく仲間に向けるやさしい微笑み
  • 「城を建てる」という霧丸に向ける、まだまだ傷が癒えないままの、不器用で苦しげで嬉しくて泣きそうで幸せそうな、やっぱり太陽みたいな笑顔
  • ぐるぐるカテコの満面の笑顔の捨霧爆弾(号泣)
  • カテコでほわほしてる捨天蘭(大号泣)

 

最初は大好きで、途中恨んで、最後にはやっぱり大好きだったマモの「捨之介」。

マモと拡樹くんとちゃんともの役作りの話し合いで捨天蘭は小さいころからの幼馴染だったようです。これは劇中の太夫の「お知り合いですか?」に対する捨の「ああ、小さい頃からの、な」でも想像出来ていたことなのでふむふむ、と。

人の面倒を見ることに慣れていて、世話を焼かずにはいられなくて、そんなところが、彼が「地の男」を務めていた理由なのかもしれません。

と、ちょっとここで脱線させて下さい。捨天蘭を語るならば殿について考えねばなるまい…。

【殿/織田信長

序盤、あんな蘭(あんな蘭以外になんて言えばええねんおい廣瀬智紀お前だぞ!!!!)を生み出すのならば、殿は美しいものを大事に大事に愛でる倒錯者で、蘭はそのお人形だと思っていました。だから下弦の殿は蘭のお御足に口づけしそうだなって最初思ってたし、蘭はその反動でああいう性格になったのだと思ってました。そりゃ殿も、天に蘭のことを言って死ぬわな…それなら分かるわ…、って。

が。下弦のキャストの人たちが演技を変え始めた年末以降。「いや、あんな狂犬どもをそれぞれ侍らせるとか、下弦殿、まじで得体が知れなくない…??」と思い始めました。おかげで気付いたらスマホchromeにひたすら猟犬やら警察犬やらのページ蓄積させてた。(なんでや)ついでだから載せておきますね。

ダッチ・シェパード(忠実で状況判断力に富み、人懐こく真面目で友好的)かシベリアン・ハスキー(バランスの取れた体躯、滑らかに伸びた毛皮のイメージをもつ美しい上毛と柔らかい下毛、狼を想わせる精悍な顔貌、人間に対する融和性)あたりで悩む……

 

  • 天と蘭

絶対ドーベルマン(天)とジャーマン・シェパード(蘭)!!!

 

ドーベルマン - Wikipedia

労働犬・警備犬として品種改良した犬種であるので、難しい訓練にも耐えられる非常に頭の良い犬である。

飼い主に対しては非常に従順であり、強い忠誠心と忍耐力を持つが、家族以外の人間、他の犬に対しては警戒心が極めて強く、縄張り意識も高い為攻撃的になり易い側面を持つ。 

 

ジャーマン・シェパード・ドッグ - Wikipedia

本種は育つ環境によって性格と性質が大きく異なる。

幼少期に正しく教育された個体は、力強い顎を持ちつつも従順であり、忠誠と服従の感情を表す。このためペットとして飼うことだけでなく、攻撃とリリース(噛み付くのをやめさせる)等の数々の命令をこなすことが可能となり、各分野での活動が行える。

反面、きちんと教育されなかった個体は、支配欲が強く非常に攻撃的な犬となり危険度が高い。

このため成体の本種を再教育することは困難な作業となる。

高い忠誠心を持つため、警察犬や軍用犬としては非常に優秀であるものの、盲導犬としては使われない傾向にある。これはその高い忠誠心が仇となり、幼少期に飼い主と引き離される際、分離トラウマが発生することによるもの。

 

かげんてんまお様まじドーベルマン!!!!!!

かげん蘭まじジャーマン・シェパード!!!!!!!

 

下弦捨天蘭が織田信長に仕えていた頃のイメージは織田信長の従順な狗<イヌ>です。ぅゎ字面がめっちゃ厨二。

捨と天はともかく、いや嘘だ。捨も天も割とアレ。ええいとにかく廣瀬蘭があんな(何度も言うけどあんなとしか)になった終盤は、本当に、殿、あんなの一番に愛でていたとか…あたまおかしい…器が大きいとかのレベルの話じゃない…こっわ…って思ってました。

で、そんな殿に見いだされて徴用されていた捨や天の曲者っぷり…というか拗らせっぷりに殿が気付いていなかったなんてことはあるんだろうか?、と。

私は殿は自分の死後、捨之介がああいう風に生きることを予想していたんじゃないかと思います。そして、これ、天魔王の段で書くべきなんでしょうけれどもここで書きます。

殿が最後に天に投げつけた言葉が何故、蘭への言伝だったのか?

当初は蘭を愛していたからだと納得しました。でもあれらほどの狗を従えていた人がそんなことを言うだろうか?

で、考えた結果。

あの一連の言葉は、天魔王を生かすためだったんじゃないかと思うんです。

捨之介が言っていたように、明智光秀の謀反に人の男が関わっているにしろ、いないにしろ、人の男は少なからず織田信長を愛していたと思います。この愛は性愛の愛ではなく(もしかしたら衆道としての関係はあったかもしれないけど)、敬愛や傾慕の念で。蘭が去った後、炎に包まれながら、人の男は、自分の過ちで自身が慕う人が命を落とすことになる悔恨と、自分ごときの策に嵌ることへの少しの失望と、なにより捨でも蘭でもない自分が織田信長の傍で彼を看取り後を追うことが出来る歓喜の中にいたんじゃないかと思うんです。もしかしたら隠しきれずうっすら笑みすら浮かんでいたんじゃないかとすら思う。(下弦天ちゃん、わりと器用貧乏というか、ぶきっちょで素直な部分、あるよね…)

そんな人間を生かすことが出来るとしたら、ああ言うしかなかったのではないか?

ただ生きろ、というでけでは人の男はきっと生き延びはしなかった。殿を憎み、蘭を憎み、全てを怒りに変えて、そうしたから生きてこれたのでh……………ウッ…………………………。

もしそうだとしたら、殿の一人勝ち…全て掌のうちじゃん…。

死して尚、人の男の根幹に君臨する織田信長という男、本当にずるい。めっちゃズルい。わたし、下弦天魔王の中の人のオタクだからこういうね。まじでほんとズルい。ッハァ~~~…やってらんね…喜びも悲しみも全て殿に帰結するとかマジやってらんねっすわ…こっちがいくら幸せになってって願っても届く余地すら感じられねんだもん……。人の男が求める愛は私たち有象無象からの愛じゃないから。

そしてこの殿ならば、三途の川の向こうで蘭と天をまた侍らせそうな気がする。もし地獄に行くとしても、そこで3人でブイブイいわせそう。そうなら、いいのになあ。

人の男を生かし、そして地の男があのように生きるだろうと予想していたとしたら、集った未来が予想されたものであったなら。それこそ「因業因縁奇すしき縁」だと思う。あそこにあの人物達が集ったのは、運命だったんだ。

 

で、失礼しました。捨之介の話に戻します!!(本筋!)

捨之介という男は「浮き世の義理も昔の縁も三途の川に捨之介」と言いながら、誰よりも過去の縁に縛られている。織田紋すら背負う。…全く捨て切れてなさ具合がすごい。特に下弦捨は、全然捨てきれていないのに、本人は全てを捨てたと思っていそうなところが、とても傲慢で、そしてとても危うく見えました。月髑髏のテーマは『若気の至り』とのことでしたが、下弦において一番それが見えたのが捨之介。

蘭の「裏切り」も天を「死なせた」ことも、捨はその理由を理解出来なかったと思う。傲慢なままであったなら。だって、きっといつだって下弦捨は天と蘭を「可愛い弟分」と見てきたんだろうから。愛す可しと書いて「可愛い」。まさしく捨にとっては愛す可き存在だったんでしょう。
そして、天と蘭も、捨のことを家族のように思っていたんじゃないな~とも思うのです。ほら、家族に対してって、何かあっても言いにくかったり指摘しにくかったり、真っ向から言いにくいことってあるじゃないですか。家族だからこそ言えないこと。黙って享受していれば丸く収まること。あの天と蘭が切り捨てられなかった、捨からの愛。
それが、互いに離れて住んで円満にいってたのに、一同に会して本音をさらけ出さないといけないことになってしまったから、表面化してしまった。で、天と蘭は「"やっぱり"分かり合えない」と理解するんですが、捨之介には何がなんだか分からない。

だから、私は、途中で下弦捨を恨みました。「分かっている」のなら、どうして、なんで天魔王のことを、人の男のことを、救ってくれなかったんだと。まあ完全に八つ当たりなんですけど!!!!!(自覚してるから許してほしい。)

12/23のソワレだったと思うんですが、「口で言うほど、捨てるってのは 簡単じゃ ねぇなぁ」が、途中から言葉に詰まって声が出てなくて、最後は何とか絞り出したように言う回があったんです。その時に、この捨之介は自分の取り零した「何か」で天魔王を「死なせた」ことを自覚し、今深い悔恨に中にいながら何かに誰かにすがることも出来ず、溢れ出そうな激情やもしかしたら涙も、表に出すことは出来ず、ただ一人力なく項垂れる「彼」の「独白」がひたすらに痛々しく哀しかった。傲慢なままであれば、抱えずにすんだはずのもの。人の男のように、この人もまた、いつか一人でいってしまうんだろうなぁと思いました。霧丸の手さえ、届かないところに。

だけどその後、上記の台詞がだんだん変わっていきました。「口で言うほど!捨てるってぇ~のは!簡単じゃあ、ねぇなぁ!!」って、茶化すように、笑いさえしながら、語尾が震えたことを隠しながら、「仲間に向けて」言うんです。捨て切れていなかった自分を、その過ちを、仲間に向けて。そして、顔を背けて涙をぬぐう。そしてそんな彼を見て見ぬふりして、仲間は普通に会話に加えるんです。

私が捨天蘭で見たかった光景がそこにありました。悲しかった。もう手に入れることの出来ない光景。いつかの昔にはあったかもしれない光景。だけど少なくとも捨之介だけは生きて、生き抜いてきっとこの笑顔でこれからも生きていくのだと思ったら、強く強く、生きていてほしいと思った。

私はこの下弦は、捨之介が初めて挫折を味わう物語だと思っていました。自業自得の物語。言葉にすればあまりにチープだし、その代償はあまりに大きいものでしたけれど。だけど自分の過ちを知らずに生きていけるはずもない。この挫折を理解しながら、でもまだ心の整理はつかず、それでも地べた這いつくばるどころか、足踏ん張って自分の足で生きて行こうとする姿を千穐楽で見せた「宮野捨」が最高に好きでした。

自分のメモに「捨之介は夏の太陽のような男」というのがありました。強い日差しとその対比で一層濃くなる影。だけれども、私がみた最後の捨之介はただただ真っ直ぐに生きる一人の人間だったんです。愚かしいとさえ思っていたのに、膨大な理想と矛盾を抱えた一人の人間。

綺麗ごとだけじゃ、理想だけじゃ、どうしようもないということを知ってもなお、それでも貴方のまま生きる下弦捨。

本当に本当に大好きでした。

 

「霧丸(演:松岡広大氏)の感想」 

霧ちゃん。おぢさんだよ。

コワクナ~~イ コワクナイデスヨ~~~ 

 ホラコッチニオイデ~オヂチャンガ飴チャンアゲヨウネェ~~~~~^^

とにもかくにも大人が中心の話だったはずの下弦。もがけばもがくほど過去へ過去へ引き摺り込まれる苦しみに喘ぐ大人たちのお話だった。だった。いつからだろう。下弦に未来の感じるようになったのは。彼らの明日が幸せであれと祈るようになったのは。

過去を清算するための賽が投げられた瞬間が捨天蘭が集ったあの関東荒野だとしたら、下弦の明日への歯車を回し出したのは松岡霧ちゃんなんですよね。まるでそれまでの悔恨から抜け出せないループの世界から一歩ずつ抜け出すかのように。

確かに当初霧丸は守られるだけのコドモだったはずなんです。終盤の捨之介を生かそうとする言葉すら、自分には生きろと言っておきながら盛大な矛盾を抱える捨之介への反発のような言葉であったはずなのに。

私がこんなに「下弦」を愛しているのはやはり捨霧の関係性が大きい。そしてそれはやっぱり「霧ちゃん2ndシーズン」によるものなんです。

ほんと霧ちゃんの第二の主人公力よ~~~~~~(大の字)

世の不条理に曝され続けたはずの霧丸が、ああも真っ直ぐなのは中の人が松岡こーだいくんだったからだと思うんですよね。対して上弦の平間君はなんかもっとこうしなやかで強かそう…よく泣くけど…。真っ直ぐ強い霧ちゃんとしなやかで折れない霧ちゃん。はぁ……上下霧ちゃん……おぢさんだよ………。 

何故こうも惹きつけられるのかと考えたのですが、「歪み」がないんですよね、霧ちゃんは。周りの大人たちが生きてきた分だけ歪んで絡まってどうにかしたいのに今更どうしようもなくて、どこか歪な何かを抱えているのに対して、下弦の霧丸は、どこまでも真っ直ぐなんだ。それこそが正気を失った捨之介を救ったものであり、生かすものなんです。ほんと…公演中は何度霧丸に減ったSAN値を助けてもらったか…ありがとうよ霧丸…助かったよ霧丸……常時クリティカルな精神分析(概念)と精神分析(物理)されてたら、そりゃ捨之介も正気を取り戻す……ちょっと捨ちゃんほんと霧ちゃんにちゃんと御礼言って!?!?

そして、この物語で捨之介は初めての挫折と敗北を自覚するわけなんですが、よくよく考えてみたのですけど、霧丸はこの物語が始まった当初から既にそれらを味わって、なおかつきっとその後辛酸すら経験している状態なんですよね。一人きりで。西から、当時荒野であった関東くんだりまで来て。もうね、髑髏城の七人におけるスタートラインがそもそも違う。貫禄が違うよ。霧ちゃん捨ちゃんの大先輩じゃん。泥水すすって生きた過去だってきっとあったんだよな。でも、絶望を跳ね除けて怒りと執念で天魔王に一矢報いるためにただひたすら前を向いていた霧ちゃんは、本当に…本当に強い……。刃が過去を向いてたって…強いんだよ……。

最後の「もう決めたんだ!」の霧ちゃんが捨之介と俺らの太陽なのはいつものことでしたが、千穐楽千穐楽……ぴかぴかな霧ちゃんの笑顔……(嗚咽)

あの表情は、憂いや懸念があれば出来ない表情だと思うんですよ。千穐楽の捨之介がこれからも地べた這いつくばってでもちゃんと生きるって思えたから出た笑顔だと思うんですよ。ウウ~~捨霧。「という霧丸」を演じるこーだいくん~~~最高~~~。ほんと応援上映してほしい霧ちゃんのうちわ振るから(アッ天魔王さまに怒られるからてんまおさま出てない時にしまs…ウッ…)

 

下弦霧ちゃんはどんな長だったんだろうか?どんな長になったんだろう?と良く考えました。 

地の男が熊木の存在を知り、殿に報告するために人の男にその存在を伝えたのが少なくとも8年以上前になります。その際にはまだおじいが長か少なくとも対外的にはまだおじいが長で。どうして彼が長であることが外に対して秘匿されたのか?若すぎるから?そもそも何故長の地位に就いたのか?

それらの理由は分かりませんが、熊木にとっての霧丸は、もののけ姫のエミシの民にとってのアシタカのような存在だったんじゃないかなあと思います。うん分かりにくいごめんなさい。変わりゆく時代の中で衰亡の陰が迫る民の中に生まれた希望の子供。若く美しく才能に溢れた、一族を背負う若人。

守られ生かされ一人ぼっちにされ、それでも熊木として生きるしかなかった霧丸。

そんな風にずっと生きてきた熊木の霧丸が、ただの霧丸として生きられる世界があの明日だったのならいいなあと思うんですよ。

いやホント妄想で変な業を背負わせてごめん霧丸。

 

…それじゃ、おぢさん、名残惜しいけど最後に霧ちゃんのすきなところ書くね…………。

  • とにかくすごいこーだいくんの身体能力
  • とにかく度肝抜いてくるこーだいくんのお芝居の成長速度
  • 髑髏党員に対して指くるくるしたりおしりぺんぺんしたりするところ
  • 最初の頃、荒武者隊の見栄を切る時に兵庫の前でポーズして、ちょ、おま ってどかされてたところ
  • 「わーい こんなところにおにぎり🍙が よ~したーべちゃお(^^♪」かわいいかよ!?!?霧ちゃんはカワイイんだよ!!!!!!!
  • 序盤のシーンでは常に警戒した猫のように肩をいからせているところ
  • 色街って聞いて慌てふためくピュアっぷりで荒武者隊に揶揄われるところ
  • 狸穴に対する「オレ霧丸」ゥッス の…イキがってる感…エモ……エモエモ………
  • 無界から抜け出す時にちょっと散歩行ってくるわ~くらいの感じでごまかすところ。そして二階で涼むガールズにヨォってチョイって挨拶するとこ……
  • 最初の頃は天魔王って名前だけで反発しちゃうところ
  • 「ここともオサラバ、か…」ってちょっと切なそうに感情を殺してしまったかのようにつぶやくところ
  • 渡京とのシーンで駆け付けた荒武者隊に「兵庫ぉ><」って助けを求めるところあざと過ぎマン…
  • おこ!な太夫にぷんすこ怒られて ッダーーー!!うるせええええ!!ってクソガキ大爆発するところあああああああああああああああ
  • 無界で捨や蘭に対して毛を逆立てた猫みたいなところ
  • 狸穴に進められて、狸穴の隣のちょっと離れたところに座るんだけど、熊木の話で狸穴に滑るようにシャー!って近づかれてビャッ!!って逃げるとこ…まじぬこみ…にゃんまるだ…にゃんまるにとびつこう…ドンドン…(このネタ通じる人おるんか)
  • 無界でちょっとだけ捨之介を信じてみよう、と思ってそうな、その性根の真っ直ぐさ
  • 無界の二階から、月見の宴ではしゃぐ皆をシラけたような少し寂しそうな懐かしそうな目で見ているところ
  • 蘭を追いかけた後で髑髏党員が倒れ伏しているのを見て驚愕するところ(時代や今まで経歴から見ても見慣れているはずのものを、それでも『あたりまえ』にしていないところ)
  • 口説き後のシーンで天魔王に嬲られる際のボコボコ具合とそれでもギラギラしていた反骨精神
  • 「ばーかばーか! こっちだよー!」「くま きの しろだー!」の声とスクリーンに映し出されるシルエット
  • 捨との武器庫のシーンで、頑なだった心が溶かされて、きっとそれまでただひたすら皆のカタキをとるために生きてきたんだろうに、だから生きてこれたんだろうに、それでもなお、明日を向こうとし始めるところ
  • 渡京との逃亡シーン「待てよときょーおめーーー!はやいんだよーーーー! おーーいときょーーどこいったんだよーーーーーーー」
  • 襲撃後、太夫に合わせて、彼女らに手を合わせるところ
  • 兵庫や太夫たちに自分の身の上を明かすシーン
  • 髑髏城への道を先頭に立って走るところ
  • 霧丸だけが鎧の中の捨之介に気付くところ
  • 鎧斬剣で仮面を真っ二つにする底力
  • 百人斬りで捨之介の刃を明日に向けて、さらに一緒に戦うところ
  • 時に慟哭し、時に絶望で自我を失った捨を支え、あまつさえ天魔王の鎧まで拾ってみせるところ(霧丸…あの時どんな気持ちで天魔王の兜を拾ったんだろう……)
  • 「生き抜けよ!!!!!!」って他でもない霧丸が言うところ(それ…武器庫でみた…逆の構図でみたぁ………)
  • 脱出シーンで二人で庇い合い支え合い戦うところ
  • 「お待ちください。お待ちください家康様!!!!!」の堂々たる佇まいとその目線
  • 「空っぽの仮面をか」と家康に静かに威圧されても、それでも強い毅然とした目線を外さないところ
  • そしてその後、ぷはぁ~~~って力抜けて、へなへなになっちゃうところ
  • 捨之介とお互いに護るようにすがるように抱きしめ合うところ
  • 捨之介がまた命を擲とうとしたことに対し涙目で激高するところ
  • あそこで「金五百枚!^皿^」という豪胆さ
  • 太夫にちゃんと御礼が言えるところ
  • 「もう決めたんだ」

ふええええ語彙力脳内フォルダの容量が足りなくておぢさん全然松岡霧ちゃんのかわいいところ伝えられないよぉ><

つーわけではよ円盤出せオラオラほんとお願いします…。 →出ます!!!!!

 

松岡広大さん。何より貴方の霧丸だったからこそ、私は下弦が大好きでした!

宮野捨には松岡霧!!!!!

ハッピーセット!!!!!!!!

ありがとうございました!!!!!

 

「極楽太夫(演:羽野晶紀氏)の感想」 

チャーミング極め太夫

下弦の愛は、全てこの方から始まったように思います。

下弦での役作りにおいて大きな道しるべとなったのは羽野さんなんじゃないかあと思う。

羽野さんご自身も久しぶりの舞台復帰で色々と大変なこともあったろうと思うんですが、千葉さんとはまた別に、若き捨天蘭の役者達を導いて下さった方だと思ってます。ちゃんともとキーッ!って演技について議論してた話楽しくて好きですw あと推しのことひー様って呼んでたらしいの、かわいくてなんか嬉しかった。

 

ところでね。ちょっとね。つらつらと「リンドウ」について書かせてほしい。

【竜胆(りんどう)という花について】

リンドウは古くは「えやみぐさ(疫病草、瘧草)」とも呼ばれ、日本の秋を代表する草です。苦い根を生薬としていたことに由来するよう。『薬』、だったんですよね…。

花言葉

  • 群生せず、一本ずつ咲く姿から花言葉は「悲しんでいるあなたを愛する」
  • 「正義」
  • 「誠実」 

 (群生せず……一本ずつ咲く……………)

枕草子』六十四段

草の花は撫子、唐のはさらなり、大和のも、いとめでたし。女郎花。桔梗。朝顔。刈萱。菊。壺すみれ。

竜胆は、枝ざしなどもむつかしけれど、異花どもの皆霜枯れたるに、いと花やかなる色あひにてさし出でたる、いとをかし。

草の花は撫子、唐のものは言うまでもないが、大和(日本)のものもとても立派である。女郎花。桔梗。朝顔。刈萱。菊。壺すみれなども良い。

竜胆は枝の張り具合などがむさくるしいが、他の花々がみんな霜にやられて枯れてしまった中で、非常に派手な色彩で顔を覗かせている様子は、非常に趣きがある。

(他の花が枯れてしまっても……一人咲く花…………)

パンはこれらの情報を見て死んだ!!!!!みんなもこのリンドウ情報で涙腺爆発させられればいいんだ…!!!!!! 一人で抱えるには…あまりに…あまりにむごい情報だった……。かつて「薬」として使われ、花言葉は「悲しんでいる貴方を愛する」……なんてこった…………。

本当に太夫には幸せになってほしい。笑っていてほしい。泣かないでいてほしい…。

実は最初の頃の羽野太夫は、キンキンしててちょっと苦手でした…。もともとの極楽太夫のイメージが、どちらかというと上弦の太夫の性格を想像していたのもあると思います。

でも気付いたら、本当に本当に私までもが太夫の笑顔に救われていた。

それからいつも防振双眼鏡でおみ足覗いててすみませんでした!!懺悔します。

っは~~~羽野太夫まじできゃわ…つよくてよわくてつよくてきゃわ…。

無界で鉄砲を「いつでも使えるようにしといてね!」に対するガールズの反応なんですけど、上弦は「はーい!!」なのに対して下弦は「はぁ~~い…」ってめちゃめちゃ不服そうなんですよね。そういった態度から、下弦の極楽は、母のようで姉のようで妹のようで友達のようで同じ女で、そうして、彼女たちに並んで生き、支えてきたんだなって思ったら、この髑髏城の七人の下弦の極楽太夫に対して本当に涙が止まらなくて…。

下弦太夫は、きっとガールズ達の知らないところで見えないところで様々な自己犠牲を払ってきたんじゃないかなぁ…。

そうした中で、共に『極楽』という名前を考えた蘭は彼女にとってかけがえのない、「同士」だったんだと思う。一人咲く花の、傍に咲いた花。そしてみんなでやっと作り上げた、生きる場所。

下弦太夫の、特別懐が深いわけでも器用なわけでもなさそうなのに、一度懐に入れた人の心を何がなんでも守ろうとするところ、この強さと弱さのない交ぜになった太夫だから、こんなにも私は下弦太夫が好きになったんだと思う。お互いに守り合う髑髏城の七人だけど、当たり前のように「心」を守ろうとする太夫が、その太夫の「強さ」が辛くて守ってあげたかったなあ。

男殺しの太夫、兵庫や荒武者隊をおちょくる太夫、霧丸が熊木と見抜きそれでも匿う太夫、あったばかりの霧丸を本気で心配する太夫、蘭の心に触れられないことに気が付きながらそれでも慮ってその場を去る胆力を持った太夫、君死にたもうことなかれと行ってしまうことを知っていたかのように歌う太夫、荒武者隊のはしゃぎっぷりに一緒にガールズと一緒にはしゃぐ太夫、一人生き延び最後の武器で戦う太夫、蘭にすがり蘭の手をぬぐって優しく頬を撫でる太夫。優しい過去の記憶にはいつも太夫がいて、あったかくて、太夫のそばは帰る場所だったんだ。

悲痛な声で泣きながら、それでも目を逸らすことも出来ず逃げることも出来ず、そんな極楽太夫が悲しくて、だから最後に自分の名を明かすシーンはガバガバに泣きました…。

おっとぅに檄を入れられる兵庫を優しく見守る太夫が好き。人の幸せをそんな風に温かく見つめられるのに、当たり前のようにその幸せは自分には過ぎたものって思ってしまってそうなそんな哀しい太夫が好き。それでも最後には兵庫の手を取って「きっと幸せになる」太夫が大好き。

霧ちゃんとは違った方向で、太夫もまた強くて大好きでした。彼女の強さは「女」に帰結すると思います。

これから兵庫と沢山笑ってね、太夫

羽野さんの太夫、本当に本当に、私も救ってくれました。ありがとうございました。

 

「兵庫(演:木村了氏)の感想」 

実は月髑髏MVPは須賀健太氏の上弦兵庫の「死んじゃやだぁ」なんですけど(下弦天魔王様じゃないんかーい!)、木村さんの兵庫はね、ただただリア恋枠だから。太夫がいなけりゃ夢小説書いとるわ!!!!!!(やめろ)

木村さんの兵庫はほんとアニキ!あんちゃん!!

木村兵庫ニキは、いつか本当に二千人の仲間抱えてそうな度量を感じる。明るく溌剌としているその裏であんな過去抱えてんのあかんやろ。惚れてまうやろ。

はぁもう太夫がいてもいい。来世は兵極の嫉妬イベント起こす当て馬モブになりたい。そのためにまた人間に生まれ変わりたいから今世も頑張って徳を積もう。

下弦の兵極は上弦より想像に近かったです。上弦は兵極のあの関係のまま未来が続いていくところがよくて、下弦はあの後二人の関係性が夫婦や家族に変わって行くんだろうなぁってところがサイコー。あんな真っ直ぐに思いの丈をぶちまけられたら、そりゃ太夫だって名を明かすよ…本当の自分をさらけだしても大丈夫って思うよ…。ニキ…すげえよ……。

下弦の中でも特に「全体のテンポ感」が素晴らしかったのが木村さんだと思います。なんていうか、下弦のド真ん中、バランサーという感じ。

そう言った意味で、木村さんは本当にお芝居うまいなあすごいなあと髑髏城を通じてずーーーーっと感じててですね。本当にね、木村兵庫、「違和感」が一切なくて。

言葉遣い、身振り手振り、テンポ、声量、タイミング、表情、あげ出したらキリがないんですけど、「下弦の中の兵庫」って感じそのまま。しかも何がすごいって、回数を重ねるごとに捨天蘭があんな風に何人目!?な変化を遂げた中で兵庫ってそこまでキャラクターが変わった感じがないんですよ。だから、木村兵庫って下弦のど真ん中なんだなあって。木村兵庫がああいう風にビシッと下弦の根幹にブレずに存在してくれてたから、「下弦」を失わずに捨天蘭が周りで遠心力ブンブンでぶん回れたんだろうなと思います。

それと、髑髏城の登場人物ってずっと悩んでるじゃないですか。「これでいいのか」「このまま生きていていいのか」「あの時こうすればよかったんじゃないのか」こうなりたいなあ、ああなりたいなあ、ああなりたかったなあ、って。

だけど木村兵庫って、木村兵庫のまま真っ直ぐ生きてるところが最高。霧ちゃんの好きポイントが「歪みのなさ」だとしたら、木村兵庫は「一本気」なところです。なんだろう…俺が通ったところが道になる!みたいな…。男前が過ぎる…。

そんな「男前」の「おめえたち…!よくやった…!!!」がいかにいかに、素晴らしいシーンであったことか。

そこからの木村兵庫は本当に男前全開で本当にぐっときてばかりでした。自分も髑髏城に行くと言った太夫に「うてるのか」って聞くことも、そんな太夫を守るというところも、髑髏城に向かって啖呵切るところも、太夫を守って撃たれるところも、おっとうと一緒に訛り全開で戦うところも、泣き叫びながら撃ち続ける太夫を止めるのも、そのまま泣き崩れる太夫を静かに見つめるところも、髑髏城を抜け出す際に太夫の手をひいてるところも、最初は太夫を引き止められないところも、一度決めたならプライドを捨ててでも必死に一緒に「生きてほしい」っていえるところも、太夫の名前を呼ぶときのやさしい声も、嬉しそうな笑顔も、あ、あ、あ、まじで…兵庫………兵庫最高…………………。

「うまいもん食ったら一緒に笑って まずいもん食ったら一緒に嘆いて でもアンタを泣かせるようなことは絶対にしねえ 頼む 俺と一緒に生きてくれ」

荒武者隊を失った兵庫にとって。無界を失った太夫にとって。「誰かと一緒に幸せになるということを願うこと」「誰かと一緒に生きること」は自分にとっても相手にとっても途轍もない勇気がいることだったと思うんです。それを願うだけじゃなくて、絶対に悲しませねえ!って、そんな約束をしてでも一緒にいたいという想いを伝える兵庫最高だよ…!!!!!!(これ書きながら泣いてる…)

というか、今更気付いたんですけど最初に金を太夫に渡す時「この金で綺麗になれ!」っていうやつ、そういえば無界屋で太夫は何すんだよ!って兵庫から聞かれた時の太夫の返答だね…。「綺麗になって、貴方の想い、100年先まで、ッドーーーーーンッ!と受け止めるぅーー!だから~これからも~~応援してくださいねぇ~~~~!!」…あの頃のように笑ってほしくて、そして出来たら自分の気持ちを受け止めてほしくて…兵庫はあんな風に言ったのかな…。打算のない兵庫だからそうだとしても完全無意識そうだけど。

いっつもアドリブで笑かしてくれてありがとう。髑髏党員に小競り合いして引き倒してえいっえいっ!ってしてる間に爪月が刺されてええーーーってしてたり、毎度恒例のズラ&くんろだったり、アドリブじゃないけど、爪月に対しての「えいっ!きる…きらない…」とかがとにかくコミカルにかわいくて…。ス↑テファ↑ニーーー↑↑↑も好きでした。 

髑髏城の蘭と太夫のシーンで、幕が閉まるまで、兵庫は静かに太夫を見つめていて、そんな兵庫が最後のあのシーンで、あんな感情を吐露させるの…本当にイイ男すぎると思う……。

自分が観劇していない日でもツイッターにはいつも兵庫のネタが流れてきて、生駒ネタと共に日々の癒しでした。私が下弦たのしかったなーーー!!!って思うのは木村兵庫のおかげだよ。

 

「行くぜ!りんどう!…さん」

「り ん ど う !」

「…りんどう」

「…っ あいよっ」

貴方と太夫の、優しい声が好きでした。

男の筋はゲンコで通す!抜かずの兵庫、ありがとうございます、とっても大好きでした!!!楽しかったです!!!!!

 

「狸穴二郎衛門(演:千葉哲也氏)の感想」  

まさに狸おやじとはこのことよ…。千葉さんはまさに狸おやじを「演じている」食えない奴。

最初真意は見えないし、私も関東荒野の蘭みたいな反応しました。

千葉さんの狸穴は、確かに色々な思惑があってあの関東荒野にやってきたんでしょうけど、それでも途中までは、若者たちを見守る「大人」だったように思います。無界襲撃のシーンで「大人」でも「狸穴」でもいられなくなってしまったけど、それでも最後のシーンでは「殿様」として、そして「大人」として彼らに対峙していたように思えます。

何より好きだったのが対霧丸と対おきり。

捨や蘭や極が「大人」として霧丸に接していて、ある意味霧丸を子ども扱いしているのに対して、狸穴って通してけっこうフラットだなあと。

あと、家康って生まれながらに武士なんですよね。良いお家の生まれで。そんな家康が精一杯口説いて手に手を取り合って愛したおきり。一人の男として愛してたんじゃないかなあ。だから、事切れたおきりを見て動きを止めるし、崩れ落ちるように座るし、蹲って泣くという動作を隠すかのように許しを請うかのように頭を下げる。武士である家康が頭を下げることの大きさは、半蔵がハッとした顔をして見てはいけないものを見たかのように、見てはいけないから顔を逸らしたように、守るべき相手から顔を逸らす動作からもあまりに衝撃的なことがよく分かる。

でもでもさあ…じゃあ何もなければ「家康」とおきりが幸せになったかというと、それは難しいんですよね…。おきりが「家康」に囲われるにしろ、無界に家康が通うにしろ、どっちもものすごく微妙ですよね…。ショックを受けるおきりしか見えない…。だからそんな家康とおきりが笑い合うカテコが、私は好きだったんだよなぁ…。

最後のシーンの千葉家康の「約束しよう」。この言葉がどんなニュアンスの時でも家康の精一杯の真摯さで約束したように聞こえて…。それが分かるから捨之介もあんなにくしゃくしゃになって泣くんだよね。自分よりよっぽど力を持った人が、只人の自分の意思を守ろうというのだからさ…。

だからもともと最高なこのセリフなんだけど、終盤のほうは、「家康」としてではない、「彼自身」として約束したように聞こえてね…。武士として、人々の上に立つものとして、そうではなくて、彼自身が無駄な血はもう流したくないと思っていたんじゃないかなって思えるあのセリフ…「将来天下を統一する家康」のあの言葉。あの「約束」が本当に本当に好きでした。

油断ならない眼をしているのに、なのにやさしい眼をした千葉さんの狸穴と家康が大好きでした。ありがとうございました。

 

「贋鉄斎(演:中村まこと氏)の感想」 

下弦の住人は上弦の贋鉄斎を見て大混乱。台本の贋鉄斎はチュッチュチュッチュしてない。ミマコおぼえた。

いやまじであれ全部アドリブだったんかよどういうことだよ…。

実は贋鉄斎のことについて下書きが全然なくて何を書いていいやらw すいません…。

まず、贋鉄斎ルームは本当に日々の癒しでした。

捨之介が宮野捨になるあの場面が本当に好きだったな~!そして演技中のミスが観客にウケたことによるその後の公演への組み込み!あれ、絶対初見だったら本当にミスったとしか思わない!

贋鉄斎で印象深かったところは、無界襲撃後のシーンで兵庫の刀を研ぐところなんですけど、舞台上で流れている川のまじの水を掬って刀を研ぎ始めるところ…。こ、こ、こまけ~~!!!役者すげーーー!!!!って思ったのを良く覚えています。

その時代に生きる人物の演じ方、その様を観ることを気付かせて下さった中村さん。本当にありがとうございました。 

いや本当に短くてごめんなさい…。

申し訳ないから公式はっとこ。

  

「珊底羅の生駒(演:中谷さとみ氏)の感想」

※想いが迸りすぎて終わりませんでしたので今月中に追記します。

→やっと追記しました…(20190323)

 

下弦の、何を一番思い出すか、と言われたら、私はあのぐるぐるカーテンコールを思い出します。捨之介と霧丸が朝焼けの向こうから笑顔で駆けてきて始まるあのカーテンコールです。

あの月髑髏のテーマがかかった舞台で、高笑いした後に静かな目をする天魔王様と、天を見上げて腕を広げ、そして祈る生駒様。無界屋蘭兵衛の姿で立つ蘭の姿。

あの寂しくも美しく儚い光景こそが、私が下弦をいっとう愛している理由のような気がします。

下弦生駒様の静かで涼やかで、静謐な空気をまとったカーテンコールがとっても好きでした。本当に本当に大好きだった。役者として演じたものであったとしても、あんなに美しい祈りは今でも見たことがない。これからの一生をかけて二度あれば奇跡のような、あの美しい想いを見ることが出来たのは本当に本当に幸せだったと思います。

 

あの祈りが、下弦生駒様を表す全てだと思います。

 

織田信長がテーマの作品において「生駒」から連想されるものと言えば生駒御前ではないでしょうか。

この髑髏城における生駒って何なんでしょうね?生駒御前は信長の子を産んだ後に亡くなったとされているのが定説だけれど、なにせこの作品においては森蘭丸がああなっているわけで。笑

もしも生駒も同じような過去を持つのであれば面白いなあと思います。実際どうなんだろう?過去の作品ではこのあたり言及されてるのかな??

生駒御前は信長の正室とされる人物なので、もしこの設定が盛り込まれているとしたら、天魔王様との年齢差とか出会いとか考えてしまうなあ。そのあたり、鈴木さんとさとみさんという役者2人の関係性も相まって、とても面白い。

下弦の生駒様の素敵なところは、おじゃる言葉であるということ。これも私はもしや御前では…?と思った理由なんだけど、育ちが良いにしても逆にそうなりたくて身に付けたにしても、どちらも下弦生駒様めちゃくちゃかわいいな!?!?って思いません!?!?!?!ガンテッサイに向けて「よぅ気付きおじゃったなぁ」って凄み効かせながらのんびり言うセリフめちゃくちゃ大好き。「観念なされいがんてっさい」ってちょっと丁寧なところ大好き。潔癖なところも可愛いよ生駒様!!千穐楽の時の、がんてっさいに迫られて

「あげる!これあげるから!!
いらないですってなに???
こっち集まって!ミーティングします!!
今更だけど生駒ずーっと言いたいことがあったの
生駒、上司だよ!!!
その生駒があげるっていってんの!この時代だったありがたき幸せ~とか言って受け取るものじゃないの!?!?」

髑髏党員< パワハラだ!!!

パワハラぁ!?お前たち平成生まれ!?ちょっとマスクとってみて!!!!!」

拍手喝采!ってなったのめちゃくちゃ最高だったでしょ…。最後に髑髏党員の顔出してあげるさとみ生駒最高じゃん…(手で顔を覆う絵文字)ってなった…。

こないで…こっちにこないで 怖くない~怖くないですよ こわあい 生駒おこだからねえ~覚えておおき! これで後顧の憂いは絶った。行くぞ、お前たち♡ がかわいくてすき千穐楽げきおこぷんぷんまるでしたねの流れも大好きだった。…待って私大好きしか言ってなくない??しょうがないよね実際下弦生駒様のこと大好きだったし……。

実際ね~~皆さん下弦生駒ってどういう印象です??

関東荒野の狸穴に対する態度から、家康の顔もしくは背格好を知っていたのかな~とも思うんですが、それに対してまだ時は満ちていないと天を止める時の声、あの覇気があって誰かを従わせることの出来る生駒こそが本当の生駒なんだろうなと思うんですよ。

下弦の生駒様ってあきらかに天魔王様すきすきオーラが出てると思うんですけど、天魔王に付き従うにあたって、生駒ってどんな立場だったんでしょうね。ただの遊び女でもなく、剣の腕が立つ剣布のようでもなく。私は生駒御前説を推しているので、8年前から2人は共にあったと思っているのですけど、公私ともに天を支えてきた自負が生駒にはあったと思うんですよ。一番欲しい形で側にはいられなかったけど、誰より天を見てきて、知っているという自負が。

でもあの最期で、所詮生駒は自身も駒の一つでしかなかったこと、心の底で期待していた自分、天魔王のために死ねること、色々な感情がないまぜになって選んだのが自ら刃を深く差しながら天に手を伸ばすことなんて、誰が想像出来るんだ…。それでも届かないままに、刃に沿って滑り落ちていく下弦生駒のことが大好きで、そしてさとみ生駒が大好きで。

そんな生駒が祈るあのカーテンコールが、だから私にとってはとても特別でした。あの生駒様が祈ることってなんだろうなあと思う。

だけど、どんなことを祈っているとしても、あの美しく静謐な祈りが大好きなのです。大好きな生駒様の、極め付けがあの祈り。

さとみさんにしかつくれない、あの生駒が大好きです。天魔王とは別に、同じくらいに、私はさとみ生駒が好き。言葉を尽くしてもこの感情は言葉に出来ない…。

 

本当に大好きです。

 

※最後に…

推しがおせんべ投げヘタクソで最後サポートしてくれてありがとな生駒ちゃ…!!!!!

 

「無界屋蘭兵衛(演:廣瀬智紀氏)の感想」  

※想いが迸りすぎて終わりませんでしたので今月中に追記します。

→やっと追記しました…(20190323)

 

とりあえず最初に言っとこ。

ヴィレッジの腐女子ありがとうな…!!

説明しよう!キャスティング段階でヴィレッヂ社内の腐女子が廣瀬氏の名前を出したことから見事蘭に指名されたよ!驚いたね!!

ところでこのネタのソースが見つからなかったんですけどなんでしたっけ…??自分のつぶやき的にネタ自体は2018/02/22に発信されてるっぽいんですがどうしても元ネタが見つからなかった…。ラジオとか雑誌…??(覚えていらっしゃる方いたらご教示下さい。)あとこれよくあるオタク女子=腐女子って使い方しちゃってるアレだと思うやつ。

 

下弦蘭も贋鉄斎と同様下書きがないです。

んんんん~~~~~~…何を…何を書いたらいいんだ……やつのことは…言語化難し過ぎるんですよ………なにせヤツのことなので………(後半戦やつの蘭に情緒狂わされた人は分かってくれると思う)(お前は女性ホルモンか??気圧か???って感じだった……)

 

蘭。トップブリーダー(殿)の元ですくすくと育つはずが、成長途中で引き離れされて狂犬化しちゃった。それが下弦蘭。がうがう!

いやもう下弦蘭の手綱は下弦殿が握っておかないからあんなことに…。下弦霧ちゃんもキャンキャンしてたし下弦は犬髑髏なんかな???かわいいからまた6か月くらい公演してください。

 

今回の月髑髏の期間中で一番振れ幅が大きくて一番情緒めった刺しにしてきたのは廣瀬蘭じゃないでしょうか。あんなにみんながみんなメールを心待ちにしてた時期なくない???(※廣瀬さんのブログはみんなへのメールという体で更新される)

X Japan的な音楽(あのイントロちょっと紅っぽくない??)と共に「月が綺麗ですなあ」とか言いながら美形が現れたと思ったらあのセリフ。

「野心に生きるは遅すぎる 女に生きるはうぶすぎる 夢に生きるは切なすぎる 過ぎたる我が身の亡八稼業 -粋じゃねえよなあ」

信長がそうしたように。人の男がそうしたように。天下を望むには遅すぎ。女に溺れるにはうぶすぎて。過去の夢に縋るのは切なすぎて。何もかもが遅すぎた自分は仁も義も礼も智も信も忠も孝も悌も失って遊女屋の主人をしている。蘭丸からしたら、粋どころの話じゃねえ。捨之介に良い道を選んだって言われても、選べなかった道と別の道の先を褒められたって、嬉しくないんだよなあ。

 

捨天蘭の中で誰よりも武士の矜持が高いのが蘭だと思っています。戦うこと。誰かを斬ること。勝つこと。メタマクのランディの根底にあるもののように。一番人を人として斬ったのは蘭ではないかと思っています。

本当の蘭は天魔王を手を取った蘭で。天魔王が織田信長へ「侍う者」として正しく「侍」であったとするならば、主人の元を離れたとしても変わることのなかった蘭は「もののふ」である「武士」であったと、私は思っています。

織田信長の段で書きましたけれど、やっぱり天蘭ってイッヌって感じがするんですよ。

蘭は、元々の気質があの天魔王の手を取った後の蘭だとして。あの時代の中でも異端となりえるほどの残忍さ。(メタマクくんかな??頭のてっぺんから爪の先まで殺意でいっぱいですか???)でも、イメージ近いんじゃないでしょうか。戦うのが楽しくて人と倒すのが楽しくて負けることが大嫌い。戦うことこそ我が本懐とか言いそう感ある。そんな蘭をうまく使っていたのが殿なんじゃないかなぁと思うわけです。

あ、これ後期廣瀬蘭のことです!あの情緒しっちゃかめっちゃかにしてくる蘭の方!!(の方 #とは)

 

ちょっと話は戻るんですが、前半の頃の蘭、か弱くて手籠めにされてそうで表情が儚げで、「こ、これぞ織田信長のお小姓~~!森蘭丸様やで~~!!!!」って感じがして最高だったよね~~廣瀬蘭!野心に生きるは~のシーンとか、ホント今も昨日のことのように殿のこと思い出しては涙で袖を濡らし月とか見上げちゃうんでしょ~オマエは~~って感じだったよね~~~!!

いやホントにおまえてというやつは。

 

それはね廣瀬智紀さんという俳優がね、板の上で伸び伸びとやれた結果だと思うんですよね。

後半の下弦蘭って結構賛否あったイメージなんだけど(その割にみんなから「ちゃんともおまえというやつは!」って言われてたあたり可愛がられ体質だと思う)(そんなところも下弦蘭ぽいぞ!!)、いろんな演じ方にチャレンジ出来たいい現場だったんじゃないかあって、役者のオタクの視点からは思ってしまうわけなんですね。

観劇というものは、多くの公演の中のたった一回しか観れない人も沢山いて、私はだから最初から合格点の演技が見たくて。(推しは毎回それを見せてくれるからだいっっっすきなんですけど!!!!!)(大声)下弦は最初からその合格点の中でも高めな点数を取っててかつ安定してたイメージです。

でも、拡樹くんやちゃんともなんかは、普段2.5のお仕事も多いからか、なかなか「そこからの先の姿」や「新しい姿」を見せるのには、随分と時間がかかったように思う。2.5の他の舞台と比べてかなり短い稽古期間の中で役をトレースすることに特化してきたのが2.5の役者だと思う。求められるイメージをかぶることには慣れていても、それを自分へ落とすこむ、役者という自分に馴染ませることにはまだまだ慣れていないんじゃないかって。

どこまで自由にやっていいか、上弦よりずっとずっと手探りで足踏みの時間が長かった。(上弦さん手綱離した瞬間みんな別々の方向に飛び出して行く人たちだと思う)

で、それを最初に壊し始めたのって廣瀬さんだったと思うんですよね。しかも卵の殻の破り方がえげつなかったやつ。下弦という概念をぶっこわし始めたのはちゃんともだと思うんだ。

たっんのしそうに蘭やってる廣瀬さん見るの、本当に楽しかった。毎日現場で意見を交わして、それはマモや拡樹くんだけじゃなくて広大くんや木村さんや羽野さんがいて、って羽野さんにきい!って怒られるエピソードとか、思い出してもニコニコしちゃう。そうやって、舞台から降りても続けた彼らの関係が、あの大好きな大好きな一生ものの下弦を作ったんだと思う。それにしても捨と蘭のレスポンスの早さというか痒いに手が届くところ、いやほんと正直こいつらエゴサしてんじゃねーの??って思っていました。

…私は舞台を見るのも好きだけど、どちらかというと比重は俳優のオタクだから、やっぱり推しには楽しい現場だったって思ってほしいし、出来たら共演者にも思ってほしいし、もちろんオタクとして自分自身も現場に満足したくて、2019年になっても(もちろん色んな仕事のタイミングもあるけど)未だに雑誌のインタビューでは髑髏城の話が出てきて、ああ、本当に幸せだなあ、そして幸せな現場だったなあ、立ち合えて嬉しかったなあって思う。

きっと大変なことだってたくさんあったろうに、いっつも生き生きとして、廣瀬智紀廣瀬智紀らしく居てくれたことで、沢山救われたことがあるはずで。映画刀剣乱舞の現場をみるに、普段はもっと鷹揚にド天然かつぽえぽえよな。なので、ちゃんとももめちゃくちゃ大変な現場だったんだろうなあと思っています。

なので、私は本当に廣瀬智紀には感謝しかないんですよ。

下弦の蘭が廣瀬智紀で本当に良かった。

 

もうね、最初の頃、蘭に関して、聖女とかマグダラのマリアとかカルメンとか書いてたのめっちゃウケるよね。無界屋で炎に照らされながら愉悦に顔を染める蘭が一番大好きだったよ私は…。

前期の儚い蘭、後期の狂った蘭。

亡八稼業とかめちゃくちゃ苦しそうに後悔ビシバシですって感じで登場して、太夫じゃない、捨という過去の身内であっても久しぶりにあった今はほぼ他人という外野から褒められてやっと、やっと自分のやってきたことを素直に見ることが出来たこととか、あの時の蘭は本当に無界を手放す気なんかなかったと思うんだよ。後悔はあってもその感情は自分の中だけでいなせると思っていたんだよ。だから捨と再びあいまみえて、自分の手が未だに過去に囚われて真っ赤なままだから、流しきるために、それは自分の手だから、自分こそが、自分のために、過去を清算するために天の元へ向かったんだと思う。断ち切るための天との対峙で反対に天から絡めとられてしまったけど…。

ちなみにこれは、天の「人の男」たる由縁を垣間見ることが出来て最高だなって思います!(良い笑顔)本当に特別に蘭の自我が弱っていたとかではないと思うんですよ。あの場においては人の男が一歩上手であったという。

個人的にはこの時、天の蘭へのコンプレックスが見えて最高だし、自らのコンプレックス抉ってでも蘭を引き込むところ……だいすき………(すぐ天魔王様のこと話し出すおたく is ワイ)

 

天に引き込まれて解き放たれた蘭は元の自分楽しいし、殿の元にいたころの自分こそが本当の自分だし、だからこれ(無界襲撃)は"楽しい"ことのはずだし、だから今までの自分は"間違っていた"はずだし、メンタルぐちゃぐちゃだね!わたしたちもだよっ!!!ミ☆

昔のライバルの天との関係性も上司と部下になっちゃってやりにくいよね…蘭の中では殿としての代替としての天とかつてのライバルとしての天と昔なじみとしての天とで…うん……。

霧丸を殺そうとするところも禍根は残すまい絶対殺すマンって感じが昔の蘭ぽいし、天ではなく自分がやるべきと思っているところが、真っ赤な手をもっと真っ赤に染めなきゃ完あって蘭、底なしの沼へご案内中だ………助けられないから見えないところで溺れないでくれよ…………。

 

天の描いた地図が書き換わって、髑髏城を捨てるという天に蘭は「逃げるならお前だけ逃げろ!」って怒るわけだけど、あの蘭の態度が昔の天と蘭とのケンカのスタンスだったんかな~って思うとさ、しんどいな…。ケンカのスタンスは変わってないのにさ…決定的にもう何もかもが間違ってしまっているんだよ…。

多分この2人の戦いの中で、生駒をも捨て駒にしている天を見て(いや、天は生駒刺したことに苛立っているからあれは想定してなかってことだと思うんだけど)、蘭は正しく天の中の今の自分の立ち位置を把握したんだと思う。自分とあの男は対等な関係なはずなのに、対等な関係であったはずなのに、何故こうも天はゆがんでいるのかについて、天は自分のものだ自分については何も語らず蘭への言伝だけを残して死んだ殿への思いで血の涙を流すコンプレックスだらけの天を初めて認識したのかなって。

そして自分をかばった蘭によって初めて天は誰かに真摯に想われることを実感したんだと思うんですよ…。あの時は、天でも人の男でもない、"在りし日の彼"があそこにいたんじゃないかなあって思う。でもそれが最期になってしまうんですよ…しんどい…。そして後戻り出来なくなった、"友"を失って、それでも成さねばならぬこと。

 

蘭は太夫に討たれて、最後には微笑んだような顔で満足そうに死んでいく。本当に自分勝手な男だよ。…ほんとに…。太夫がどんな気持ちでお前の手を何度も何度も拭って、髪を優しく撫でたと思っているんだよ…まったく…ほんとおまえってやつは……まったく………。

ちゃんともの、あの得も言われぬ蘭がとても大好きでした。

 

でもお前千穐楽に今までは「無駄だよ太夫」だったのが「無駄だよ極楽」つったの…千穐楽だけ変えてきたの…本当に許さん…全然ニュアンス違うからな!解釈違ってきちゃうからな!!おまえというやつは!!ちなみに私は極楽versionが好きだったよチクショー!!!最後までお前というやつは!!!!!!!!!

 

捨ちゃんや霧ちゃんみたいに好きなところ…書きた……あの…ほんと……(追記出来たらなあと思います。)(思います…)

  • 一番最初の登場シーンの前半期の儚さと後半期の艶やかさ

  • いい道を選んだとかつての仲間の捨に言われてどう反応していいか分からずへたくそな話のそらし方するところ
  • 霧丸探すために駆け出すシーンでいつも段差をぴょん!って飛び越えるところ(あれはちゃめちゃ可愛くなかったですか??円盤に入れてくれないとムリです)

  • 捨之介が先に走ってったはずなのに関東荒野に最初に着くの蘭なところw

  • 天魔王に斬りかかる捨之介をいなし、自分が斬りかかっていくところ(て、天蘭ライバル感~~~~~…!!!!!)
  • 天魔王が信長を看取ったといったことにめちゃめちゃめちゃめちゃ動揺しているところ(自分こそが殿を看取ったと思ってたのにね~…)
  • しっかししろ!って天に言われてもまだまだ動揺しているところ
  • 狸穴の顔見て四度見か!?みたいな反応するところw

 時間作って続き書くから…がんばるから………。

 

「天魔王の感想」  

※推しなので天魔王と鈴木拡樹の二本立てになりました

※想いが迸りすぎて終わりませんでしたので今月中に追記します。

→やっと追記しました…(20190323)

 

六欲天をご存知か 天でありながら未だ欲が生きる世界だ」

正直、この台詞を思い出すだけで泣けてきてしまう。今ちょっと自分でも引くくらい泣いてる…。

全ての始まりの、人の男。

 

天魔王様。もう一度あの方の元に馳せ参じることが出来たなら。もう一度、「髑髏城で待っている」と言ってもらえるなら。私はどんなことだってするのになあ。

貴方の言葉から廻り出す運命の歯車をいつまでも見続けていたかった。

「人の欲を自在に叶える魔王が棲むという」

燃え盛る炎の中、レクイエムのような音楽、あの安土城天守閣にて人の男が天魔の鎧を手に入れる描写には一方ではふさわしく、一方ではふさわしくない。

「天の跡目を狙うは浪速の猿か駿府の狸か

  笑止 人面獣心の輩が身の程を知れ―――――  !」

芝居がかったこの言い回しから始まる天魔王誕生のシーンが好きで好きで、そして悲しくてしょうがなかった。

私は最後まで、下弦の天魔王を「自分が天下を取りたいがために織田信長を嵌めた人物」だとは思えませんでした。

この台詞だって、自分こそが最も相応しいとの言ではなくて、正しく人面獣心の輩なんて天を継ぐものとして相応しくない、って言葉に思えていた。

六欲天 知っているかい 天の六欲天
壱、四王天 弐、忉利天 参、夜摩天

六欲天 天にあるのに 欲に溢れる
四、兜率天 五、化楽天 六、他化自在天

人の欲望 自在に叶える
魔王が住むという 今ここに生まれ出た

この髑髏は 天が御霊を 我が命に
宿らせる 意志のしるし

この髑髏が 乱世再び 呼び覚まさん
炎の中 天魔王が生まれた 

捨之介の段に書いたように、私は下弦天魔王の殿への想いの根幹は「愛」だと思っています。そして下弦天魔王にとっての「殿」は己の核だったんだとそう思っています。あの人にとってのかみさま。

あくまで妄想なんですが、三人の中で殿と一番最初に出会ったのは天なんじゃないかなぁと思っています。将来有望な子供として出会っているのではないかと。そしてその頃、彼にとって「上様」は神様になった。でも捨や蘭も殿と出会い、重用され、蘭なんて後世に残る程の可愛がりぶり。自らの手で自分の天を失った彼の心情はどのようなものなんだろう…。 

 「天は落ちても天の意志は滅びない いや地獄の業火となって燃え盛る この天魔王の手によってな」 

天魔王が産声を上げる一方で概念としての人の男はこの時に死んでしまった。だからあのレクイエムを思わせる曲だったのではと思っています。

あの髑髏の仮面は自分の神を神降ろしするための目印であり神と一体となったことの証であり神より賜ったしるしだと思ったら、狂っているようで狂いきれないあの天魔王が、私には辛くて悲しくてしょうがなかった。

そして、天魔王になった姿で発せられる一番好きな台詞。

「髑髏城で 待っている」

多分たった数分しかないであろうこの場面を、私は何度も何度も頭の中で繰り返す。

髪とマントをなびかせる姿を何度だって思い出す。

 

爆泣きしながら書くことじゃないんだけど、この時点で、お城の名前を「髑髏城」に決めている天魔王様めっっっっっっっっっth……かわいいよね!!!!!!!!!!!っていうだけのお話なんですけど。笑 はちゃめちゃ可愛くないですか!?www あの髑髏が満載のお城もきっと天魔王のリクエスト入って作られたのではって考えると、熊木衆まじ仕事お疲れ…って思って…w

あと、蘭役の廣瀬さんが公開したこのブログなんですが、観客である私はいつもこの天魔王のシーンが体を震わせながら、心臓をぎゅってさせながら見てたんですけど、裏ではこんな可愛いことやってたとか、本当に役者ってすごいな~!!!!!って思いました。公開してくれたちゃんとも、本当にありがとう…。

ameblo.jp

ヴィレッジくんはバクステの円盤化よろしくお願い致しますお金ならあります。 

 

この大好きな天魔王から始まるシーンの後、次に天魔王様が登場するシーンは関東荒野。物々しい音と共に天魔の鎧を身に着けデスマスクで顔を覆いマントを靡かせ登場する天魔王様ははちゃめちゃにかっこいいです。

それはそれとしてこのシーンの天魔王のマネをする上弦みうらんの動画をさらに真似したワシの動画があるんじゃよ(in オタクの友達の結婚式)

「バーンバーンバーンバババーーーーン!待っていたぞ無界屋蘭兵衛。カチャ そして捨之介、か」

つって動画撮るのめちゃくちゃ楽しかったですぅ。どうでもいい話でしたすみません。お知り合いの方は会った際に言って頂ければ動画見せますんでその時は草生やしてくださいね。

 

…書いてて思ったんですけど…。…下弦天については自分の解釈というか…こじらせまくってる自覚があるので…もうホント…書く必要なくない…?私だけが分かってればよくない…??みたいに思えてきたぜ……がはは…………。

 

もうね、今の時点で47000字越えてるからね。

天魔王様のところ一番重要なTermだとは思うけどダイジェストで行くね!いつかぬるっと文字が増えていたり全然文章が変わってめそめそしていたらごめんだよ!!

 

▶関東髑髏党二万人かつ英吉利の協力を引き出す天魔王様すごい

対豊臣連合軍の二十余万と比べると関東髑髏党の二万、それが所詮天魔王の限界なんだよなあなんて意見を見たりしたんだけど、「いや、二万って少ないの??実際どんなもんなん?っていうか八年でやるとか逆に天魔王様すごくない??」なんて疑問が生まれませんでした?私は生まれた!ということで調べました!!!w(嬉々として「あのね、天魔王様の禄がね!」って知人にお話したら禄wwwって爆笑されてこのテーマはブログに書くように言われたので外せないと思いました(小並感))

 

ネットから調べた情報によると、大名が動員できる兵力は地域差などにより変動があるものの、基本的には一万石に対して二百五十人前後の兵力として換算するみたいです。
つまり、関東髑髏党二万人から換算される天魔王様の仮想石高は約八十万石

そして舞台である1590年と少し時代は違えど1598年秀吉死亡直後の時点での石高トップ10がこちらとなります。

 1位 徳川家康  255.0 万石 武蔵江戸
 2位 毛利輝元  120.5 万石 安芸広島
 3位 上杉景勝  120.0 万石 陸奥会津
 4位 前田利家   83.5 万石 加賀金沢
 5位 伊達政宗   58.0 万石 陸奥仙台
 6位 宇喜多秀家  57.4 万石 備前岡山
 7位 島津義久   55.5 万石 薩摩鹿児島
 8位 佐竹義宣   54.5 万石 常陸水戸
 9位 小早川秀秋  52.2 万石 筑前名島
10位 鍋島直茂   35.7 万石 肥前佐賀

 

超絶有力大名並みじゃないですかー!やだー!最高かなーー!!??

ほら見ろー!天魔王様は最高なんだよー!!!(イキリ)

髑髏党に対するの豊臣軍側については二十余万とされていて、水軍の三万などをひいたり、その他の大名の兵力を引いたりしていったり…(した数のメモをなくしたのでw 各自ネットなどで見てくださいwww)した豊臣単体の兵力と比べると、ってやつなんですが、…フッ…弱い奴ほど数に頼る…。

ただし、この兵力はあくまで大名に付き従う家臣としての兵力であって舞台中で言うところの「浪人や無頼の戸」が含まれていません。関東髑髏党はこの「浪人や無頼の戸」の集まりであるから、単純に同等の兵力であったとは換算できないので天魔王が実際に大名であった場合についてはもう少し低く見積もる必要があります。また、当時の関東はまさに関東荒野と言われ、ススキと葦が広がるド田舎だったので、単純に石高に繋がるかと言われればNOだとも思う。…いや、8年後の家康の石高が255.0 万石になることを考えればやっぱり天魔王様の自力は強かった…??1598年時点での武蔵だけでの石高が66万あったとされるから…だからやっぱり大勝利案件では…。いや、そもそもそれを八年で後ろ盾なしにやる下弦天魔王様まじで優秀すぎでは…??

……こまけぇこたぁいいんだよ!!!下弦天魔王様まことに優秀!!まことに最高!!!
そういうことです。(強引にまとめる)

あ~やっぱり上司にしたい~下弦関東髑髏党、福利厚生整ってそうなんだもん~生駒や剣布が重用されてて女性のキャリアも積めそうなんだもん~~やっぱり下弦天魔王様めちゃくちゃ優秀~~!好き~~~!!!!

はあ…下弦天魔王様のこと考えると…本当に好きすぎて…なんか自我が逆に崩壊してしまう…語彙力も死んだ…みんな知ってるか…今更だった…。

 

▶「第六天魔王」と「人の男」と名前も知らない「彼」のこと

先の段で書いたように、「彼」にとって織田信長という人間は正しく神だったのではないかと思うのです。捨之介にとっての霧丸。太夫にとっての蘭。特別でないもので囲まれた中であまねく自分を照らすもの。

その神を失おうとするその時に、与えられたものが自分ではなく他人へのものであった時、心は壊れ、神を映すものも壊れ、彼は「第六天魔王」を失いました。

皆さんにも多かれ少なかれあるんじゃないでしょうか。小さな頃、絶対だと期待し信じる何かに裏切られたことが。親や兄弟や友人や知人といったものたちに失望したことが。

彼にとって、織田信長は侍うべき主であり、興味深い人間であり、神であったのだろうと、私はあの天魔王ダンスの歌を聞いて思いました。

そんな彼が、自分の身を、心を、すべての形を「天魔王」にしようとすることに、私はなんら違和感を感じません。人は狂った時、神に助けを求めるものですから。

私が、下弦天魔王様のことをこんなに好きなのは、彼が悲しくて完全には狂ってしまえずに一人きりで立ち続けた人だからです。人心を掌握する「人の男」としてではなく、誰よりも「私」や「あなた」や「誰か」みたいに、哀しくも誰よりも「人」であったから。

 

▶「彼」

前述(捨の織田信長のところ)の通り、彼は愛を持っていますが、それを自覚していません。でも愛ってそもそもなんなんでしょう?どのような状態をもって愛というものを規定出来るのでしょう?愛がなにかということについての答えが見つかったとしても、自分のもつそれが、他人のそれと同じだと言えるのでしょうか。

下弦天魔王様がもつソレは、まさしくそんな答えの出ないものだったのだと思うのです。

あの愛に溢れた下弦の中において、一人歪なほどにひとりぼっちであった天魔王は、本当は答えを知らないだけであったのだと、私は信じたいのです。

 

 

…いや、温度差な!(すまん)

もうね、前楽まではほんっとうに拗らせていたので…辛くて現パロに逃げました。ごめんなさい。でも現パロ楽しかったです。現パロの下弦てんまちゃはのびのび楽しそうにM&A会社でサラリーしてるので皆さん安心して下さい。霧ちゃんは宮大工をしてるょ。

 

天魔王様の好きなところ列挙も、やりたいなあと思います。

あとあれな、髑髏城からジョ伝観に行って死んだ話もしてないしな!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「鈴木拡樹氏の感想」   

何故こんなに私が下弦天魔王にトチ狂ったのか。

とっても簡単な話。初めて板の上で「鈴木拡樹を見た」と思ったからです。

これ、ここ数年で鈴木拡樹さんを知るなり好きになって下弦の後半戦見た人には割と分かってもらえる感覚なんじゃないだろうか。

 

それまで私が知っている鈴木拡樹は2.5次元の帝王と呼ばれ憑依型の役者なんて言われていた。し、私もそう認識していました。舞台上にいる拡樹くんはいつだって寸分の隙もなくそのキャラクターだった。好き。

プゲラされても仕方がないことを書きますけど、自分が(数年前まで)人に合わせてしまうタイプであまりに自分自身の「自己」というものがないことに悩んでいた後だったので、「ああ、この人もあまり自己主張や自己表現というのは得意ではなく苦手な人なんだろうなあ」なんて思っていた。勝手に。まあ勝手にシンパシー感じていただけなのでここは適当に忘れて下さい。

月髑髏の最初の頃、鈴木天魔王は「悪役の中の悪役」とか「正統派ヴィラン」って言われていました。下弦自体が教科書のようなお手本のような髑髏城と言われていたし、鈴木天魔王だけじゃなくて、オタクである私達が「多分こうであろう」と予想するキャラクターがそのまま現れたようだったのが下弦だったように思う。そうであるから私のような髑髏城自体が初めての人間にも馴染みやすかったんだろうな。

今でさえこんなに下弦天魔王様にドンズボってるわたくしですけど、初見の時の天魔王様の印象はこんな感じ。

Twitterで見かけるほど、The 悪役じゃなくて割と小物っぽくない???くらいに思っていました。

もちろん、初めて天魔王様を見た時のあの衝撃は忘れられない。最初の頃の、作られた人形のような多彩な表情。大きな存在の陰に隠れる矮小な男。あの鈴木拡樹が、このような役柄を演じていることにびっくりして、でも違和感はなく、ヒールで悪役な天魔王に私はあっという間に夢中になった。初めての一幕が終わって、天魔王という役が大好きで、トイレの待ち時間に興奮してツイートしたことを覚えている。二幕が始まって、展開は驚くことばかりで、そして天魔王の最後のシーンとカーテンコールを見て号泣しながら嗚咽を漏らした初日。

忘れられない。忘れられないけども。拡樹くんが作りそうな性格だな~とも思ったんですよね。

一方その頃上弦では早乙女太一の天魔王が大暴れしていたわけで。

正直、上弦と下弦って、今までの新感線で行くなら上弦キャストなんだろうなあなんて思っていました。Wキャストじゃなかったら、鈴木拡樹はキャスティングされたんだろうか?って。ッアーーーもうこんなこと書いたら色んな人に怒られそう。まあ完全にファンとして萎縮しちゃっていたんですよね、私がね。

でもねえ。誰でもない鈴木拡樹自身がこのウジウジ面にビンタぶちかましてきたんですよね~。演技に対する姿勢で。

あるシーンの中に天魔王が顔を斬られるシーンがあるんですけど、っていうかあるシーンとか今更伏せる必要あんのかいって感じですけど、上弦下弦共に斬られて顔背けた瞬間に自分で顔にピッと切り傷を付けるアクションがあって。あれ、太一さんがやりだしたんですっけ?

でね、太一さん、その一瞬で切り傷を付けるのがそれはそれは巧くていらっしゃって…。本当に刀で切ったようにピッと細い線が入って、「あっ!顔斬られた!!」って感じで。

でもね~~鈴木さん、それ入れるのめちゃくちゃ下手でね???

私、推しは定点カメラするマンなので髑髏城は防振双眼鏡でなるべくずっと推しだけ追っていたんですけど、かすれちゃってたり指の腹で書いてべたっとなっちゃってたりそもそも顔にインクがほぼ付かない日もあってね…。何を持って成功というかは個人の考え方によると思いますけど、少なくとも各公演で朱の入り方が違うということは、安定してないんだな~拡樹くんこれ苦手なんだな~…って私は思ってて。特に私は太一さんのピッって入って、一回ハケて場面が変わったら血が下に流れたように変えてて、さらに場面変わったらカサブタみたいになってる、あの一連の太一さんの演出がどちゃどちゃに好きだったのでね…。このシーンはいつも双眼鏡覗き込むのにちょっと勇気がいるシーンだった。

でも、そんな状態で見た下弦のライブビューイングで、鈴木拡樹ドアップになるのにそれにチャレンジしてきたんですよね。 

 

本当にすんごいびっくりした。文字にするとほんと私の語彙力も相まって本当に別に大したことじゃないように見えるの悔しいな!?

この演出は太一さんも拡樹くんもやってる時もあればやってない時もあったので割と自由の利く個人の裁量の演出だったんだと思うんですけど、なのでいつかゲキ×シネや円盤化に使われるであろう収録日のこの日にチャレンジしてくるとはまさかまさか思いもしなかったんだよね。あの日は仕事の出張の関係でライビュの会場には遅刻して入ったしアルコール片手に髑髏城が見れるのが楽しくてラリラリしながら見ていたんだけどこのシーンみて一瞬で冷や水浴びせられたみたいになった。

私の中の鈴木拡樹という人は、舞台の上に立つ人で、演劇というものを盛り立てたいと強く思っている人で、観劇する側にすごく配慮する人で、だから一回一回の公演をとても大事にしているし毎回なるべく同じ内容同じクオリティになるように努めている人だったのね。

その拡樹くんが、収録も入っているような日にまさかチャレンジしてくるとは思わなかったんだよ。

その時に、「ああこの髑髏城の七人という現場で、拡樹くんは板の上でチャレンジ出来ているのだなあ」ということを初めて見れて、その時初めて私は「俳優の鈴木拡樹を見た」と思ったんですよね。演技人の鈴木拡樹をこれからもずっと見ていきたいって思ったんですよ。私の横っ面をその姿勢でひっぱたいて、いま目の前にいる鈴木拡樹を見れた、私にとっては大きな出来事でした。

おかげさまでその後の髑髏城に入る加速度あがっちゃったな~~~!!!

前の段で書いたように、鈴木天魔王にとっての「殿」はすべてだったんだろうなと思う。「全て」であって「総て」であって「統べて」いたもの。そんな解釈させる役作りってある???少なくとも私はそんな下弦天魔王が好きで好きでしようがなかった。自分の魂に癒着した「天魔王」をかつての仲間である捨之介に無理やり剥がされて、でも今更「自分」には戻れなくて、そうしてせめて捨之介を道連れにしようとする天魔王、とか、本当に最高の最高の最高の天魔王だと私は思うんです。大好きなんです。頭が良くて二万の関東髑髏党を従える力があって行動力だってあって、その姿だけ見れば下弦天魔王は覇王となるに相応しい人物だったと思うのに、誰よりも愛を知らず誰よりも誰かを愛したくて一人ぼっちじゃないのに一人ぼっちだと思っていて思っていることにすら気付かない下弦天魔王様が、本当に本当に本当に愛しくて愛しくて、でも捨や蘭や生駒の愛でさえ届かなかった天魔王様には、こんな有象無象の想いなんて届くはずなくて、っていうかそんなこと考えさせる推し~~~~~!?!?!?!?!?ってなるやん!?!?!?!?!?!?!?!アッもう本当に…好き……………。

それをリアルタイムで経験出来て、現場にだって行けて、私は本当に幸せなオタクだと思うし、鈴木拡樹のファンとしても、本当に本当に得難い経験だったな~って思います。

清水ミチコさんがコラムで 「若さの秘訣は、誰かのファンになるのが一番の近道なんじゃないかと。しかし、だからといって、さあ誰かのファンになりましょう、というのは難しい。恋愛のように、急にその魅力に落ちてしまう、というのがスジ。努力じゃなくて運命なんですよね。」 と書いていらっしゃって。 百億万ええな!!って感じなんですけど、天魔王様と、役者鈴木拡樹は、私にとって本当に運命です。大好きだなあ。

 

そんな風に思った髑髏城、本当に本当に楽しかったよ!!!

 

 

以上、だらだら書きでした。残り三人分。頑張ります。→頑張りました!!!…でも補習頑張ります……。

 

おそまつ!!(ほんとにな…)

 

「公式LOG」  

このブログの最後にみんなでぐるぐると走馬燈まわそ…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 本当は、もうちょっと、あとちょっと、天魔王様を見ていたいなあ。

*1: 

Heavy Duty (Remastered)

Heavy Duty (Remastered)

 

  

*2:ところで戯曲には白蘭って書いてあったんだけどスクリーンは明らかに曼珠沙華だったの、結局どっちが正しいの??

鈴木拡樹ファンが悲伝の三日月宗近の注目ポイントをまとめてみた

観た全ての公演において、ひたすら鈴木拡樹、というか三日月宗近定点観測マンをしたので、残しておきたい記憶と共に、皆様にも是非注目して頂きたい部分をまとめてみました。

銀河劇場公演も明日から始まるのに遅い? オイもう始まったぞ!!!!!! ですよねいい加減にアップしないと今度こそ色んな方に怒られそうだなと思いました!髑髏城の卒論がまだのワタクシです。ダイジョウブ  ワタシ  ドクロジョウ  ソツギョウ  シナイ…

 

※ 完全にネタバレを含んでいます。
※ 見てほしいポイントをまとめた上で、何故見てほしいのかの理由についても記載しています。理由については思いのほか長くなったので、お時間の無い方は「注目してほしい理由」はすっ飛ばして下さい。
※ 理由の部分で作品解釈について言及する部分がございます。
※ 三日月の表情についてはめちゃくちゃ双眼鏡を覗きながら確認しているので精度高めかと思います。


※観劇:

  • 明治座公演ライブビューイング(1回)
  • 明治座公演(3回:真ん中、真ん中、ド上手)
  • 京都公演後半(1回:上手)
  • 福岡公演(2回:上手、下手)
  • 青年館公演(2回:上手、真ん中)
  • 銀河劇場(1回:下手)←NEW!

 

それでは、 推し語り はじめよう

 

全般

注目ポイント

注目してほしい理由

天魔王!天魔王のことじゃないから!!表情筋120%使ってた初期天魔王様のことじゃないから…!!(分かる人だけ分かって下さい)

丁寧に書かせてもらうと、顔の上げ下げや視線の隠し方、陰の作り方、です。

少し話はズレるのですが、Twitterにおいて何度か書き残している通り私は鈴木拡樹の殺陣を上から眺めるのがとても好き。「諸君 私は鈴木拡樹の殺陣が好きだ」で某少佐のように演説を始めたいくらいには殺陣が好きで、中でもそれを上から眺めるのが好き。それは、前方席であろうと後方席であろうと角度が違うだけで同じ見え方をするからです。

鈴木拡樹は「どうみせるか」を常に探求している役者だと思います。この「みせる」は「観せる」でもあり「見せる」でもあり「魅せる」でもある。鈴木拡樹という役者は、演じること、全ての人に等しくそれを同様に届けること、に対して大変ストイックな役者だと思っているのですが、その鈴木さんが、積み重ねてきたものを最大限に引き出して、こちらに解釈のボールを投げてくれているのが今回の刀ステのように思います。

三日月においては「能」の動きを取り入れたり、大仰でいて大らかに振舞うことで食えないじじいらしさを表現したりしていますが、刀ステの過去作では個人的所感ですがその所作にオーバーさを感じることも多々ありました。(これは、「舞台」を映像化している点にも原因はあると思っていますが。)

しかしながら髑髏城の七人の天魔王を経て、色々なものが削ぎ落とされ、いよいよ刀ステ本丸における三日月宗近らしさが極まってきたと思います。静かにして泰然とした三日月宗近です。

本筋に戻りますが、特に今作「悲伝」において鈴木拡樹の真骨頂だと感じたのが「表情の作り方」です。

表情を揶揄する際、「能面のような」は褒め言葉ではないと思います。褒め言葉ではないのですが、私は常々、演者「鈴木拡樹」はいつも能の面(おもて)をつけているようだと思っています。

明治座においては、そこまで大きなアクションは取っていませんでしたが、京都後半、福岡、そして青年館ではそれが顕著になっていました。
末満さんしかり、鈴木さんしかり、自分がどうであるか、という根幹を定めた上での「受け取り手が受け取ったことが全て」「受け手が好きなように受け取っていい」という演出、演技をされると思っているんですが、その鈴木さんが、明確に誰にでも分かるように演じる、ということは、そのように受け取ってよい(=その解釈で演じてるという発信)だと思っています。

で、能面の話にさらに戻るんですけど。

能の動作をしている人が、能の表情について学ばないはずがないと思うんですよね。

能では主役をシテというのですが、シテは神様や鬼、幽霊など異界の者であることが多く、観客はシテを通じて「あちら側の世界」を垣間見る者。こちら側とあちら側を繋ぐ役割となるシテは、舞台上で生身の人間としてではなく、異界の者になりきることが求められます。

装束を身にまとい、全ての支度が済んだ演者は、「鏡の間」と呼ばれる舞台のすぐ奥に位置する特別な部屋で、鏡の前で厳かに能面を身につける。能面を身につけることは「つける」ではなく、「かける」と表現されます。魔法にかけられるような「変身」「憑依」の意味合いが感じられる、と。鈴木さんの三日月の演技はまさに、「面をかける」のように感じます。

能面は、面 (おもて) とも呼ばれますが、おもてに見せる顔をつけることで、演者はそのウラの暗闇の中に姿を隠すのだそう。

表情のない面をつけて演じる能では、感情を面の様々な向き、演者の姿勢を使って表現します。例えば、幸せなときの「照らす」姿勢では、顔は上を向く。悲しみを表す「曇らす」姿勢では、顔は下を向く。嬉しかったら上を向き、悲しかったらうつむく。

しかしながら面白い研究結果が出ておりまして、わたくしから説明するよりは読んで頂いた方が早いのでリンク貼ります。

news.mynavi.jp

ね。面白いですよね。

嬉しかったら上を向き、悲しかったらうつむく。のに、実際に受け取る感情は逆なのです。

悲しみの中でも喜びの表情を浮かべ、喜びの中で上を見上げれば悲しみがわく。今回は特にその見上げた先に太陽があるのかと思うとムリみでしんどみ。(語彙力)

感情の機微を動きでみせる。

三日月宗近の表情を見ることは隠された心を知るようで大変楽しいのです。

是非、皆さまにも三日月の表情・動作を追って頂きたく思います。

 

なお、この面(おもて)の見え方ね、「情動キメラ」っていうんですよ…。キメラ…キマイラ…どこかで聞いた単語ですねぇ…。

キメラの表情を持つ三日月。そう考えるだけで意味深に思えてしまうオタクワイ

三日月宗近登場、そして殺陣。

注目ポイント

  • 左側通路より颯爽と現れるさま
  • 何より注目してほしいのが殺陣!殺陣の精度は今までの刀ステと比べても段違いに上がっている
  • ウィッグのボサボサ加減が今までより軽減されている(笑)
注目してほしい理由

私が鈴木拡樹さんを応援している理由の一つは殺陣です。もともと殺陣が上手いと言われていた鈴木さんですが、2017年11月~2018年2月に出演していた『髑髏城の七人 下弦の月』において『天魔王』を演じてから、その殺陣のクオリティの上がりようは目を見張るものがあります。

特に今回の「悲伝」においては、「鵺と呼ばれる」が三日月の太刀筋を真似る演出があります。鈴木さんの殺陣の中においても、より三日月の太刀筋を印象付けられるよう、明確に、しかしながらさりげなく演じられています。ッヒューーーー!さすが推し!好きです。

注目ポイント(番外)

  • 明治座におけるすっぽんから現れる三日月は、役者鈴木拡樹がすっぽんを使用するような役柄を演じていること、三日月の刀剣男士から逸脱しているさまをありありと突き付けてくるところがWでおいしい
注目してほしい理由

明治座公演が実施されるにあたり改めて色々調べてみました。

「すっぽん」とは舞台のセリのうち、花道の揚幕(出入り口にかかる幕)から七分、本舞台から三分の位置にあるセリのことを言います。

この「すっぽん」、歌舞伎においては「すっぽんを使って登場するのは人間以外であり、妖怪変化や幽霊・忍術使いなどの役が登場する時に使われる」という約束事があります。

例え普通の人に見えても、すっぽんから登場したものは、既に亡くなっているなど、人間ではないということが分かる、ということです。

刀剣男士は何者か、という考えは人それぞれあるかと思いますが、少なくとも彼らは私達と全く同じ「人」としてカテゴライズすることは出来ないと思います。そのため、私はのんきに「すっぽんから出てくるのは誰かな~三日月と山姥切は使うだろうな~あとは極男士くらいかな~」なんて初見前は考えていたわけです結果死にました

刀剣男士と似て非なるモノ、刀剣男士をも超えたナニカ。

三日月宗近がすっぽんより登場するシーンに是非ご注目下さい。

狂い咲きの桜を見つめる三日月の表情

注目ポイント

  • 明治座~福岡公演においての悲痛さと諦念を滲ませた喪心した表情、そして青年館公演においての落胆の中見せる考え込む表情
注目してほしい理由

福岡公演までと、青年館からの演技が変わってきています。青年館公演では、他の公演と違って前回公演からしばらく間があいていること、その他のキャストの方々でも演じ方を変えてきていることから、何かしらのテコ入れが入ったのではないかと思っています。

注目すべきは、福岡公演までは狂い咲きの桜を見て「やはりこの時が来てしまったか」とでも言いたげな落胆した悲しみの表情だったのが、青年館では「季節の狂いに目を細めつつ、今までとの差異にふと考え込む」演技に変わっていたことです。狂い咲きの桜を見、ふと目線だけを落として何かを考え込む、そんな演技です。な、なぜ変えてきた!?!?

銀河劇場ではどうなってしまうんや…。自分でも注意して確認したいポイントです。

「儂が死すのは何度目だ」

注目ポイント

  •  義輝に問われ、驚く三日月
注目してほしい理由

今回の悲伝については色々な解釈をお見かけします。その中で、このモノガタリはどのループの時の話なのか、三日月は「何度目」なのか、についてはよく取りざたされているテーマかと思います。

このシーンにおいて三日月は義輝に問われた際、思わず動きを止め振り返る。このことから義輝から「上記問いを問いかけられたのは初めて」と考えることが出来ます。そう考えると、悲伝の三日月のモノガタリは「鵺と呼ばれる」三日月が言うところの「歴史の異物」が現れる以前から今までとは違ってきている。特異点は鵺だったのか?それとも本当は義輝であったのか?それとも、結いの目の三日月であったのか?

ところで「いぶつ」と打とうとしたら「異物」ではなく「遺物」と出てきました。ワーこちらだったら怖いですね…。遺物に寄せられた思いが鵺を形作ったんでしょうかねえ…カンガエンドコ……。

倒れ伏した足利義輝を見つめる刀剣男士達 

注目ポイント

  • 舞台から表情が見えないような角度での立ち位置(上手)
  • 階段状の立ち位置において、左足を一段下に下げているところ
  • 足早に去るその姿 
注目してほしい理由

このシーンにおいて、三日月の表情は前下がりの前髪に隠れて見えません。見えるとしてもよっぽどド下手でしょうか…。

※2018/07/26:下手から普通に見えました…

倒れ伏した義輝を見ながら刀剣男士達はこれからの未来に語るわけですが、三日月は微動だにせず真っ直ぐに義輝を見てい(るように見え)ます。(追記:ひたすらに真っ直ぐ義輝を見つめていました。さらに、これから激動の時代~と言ったセリフの際、悲し気に目を細め振り切るかのように目をグッと閉じていました。)そして、ついっ、と下に顔を逸らしたかと思うと、気持ちを切り替えるかのようにいつもの三日月の声、所作で「さあ、長居は無用だ」と皆を促し、自分は振り返ることもせずに足早に去っていく。

あの三日月宗近であっても、冷静でいられなかったのは、それが「足利義輝」だったからなのでしょうか。それともこの時間の歪みのせいでしょうか。

え、真ん中の注目ポイント?趣味ですなんか分からんけどすごい好きなのでみんな見て!!!!!!!!

いつものはずの、モノ語りのはじまり 

注目ポイント

  • 展開を知っているとしんどい
注目してほしい理由

雑な注目ポイントで申し訳ない。申し訳ないんですが、これ以上適切に言語化することができないしんどい…。

今までの刀ステ作品において、出演していないジョ伝ですらこの始まりの「語り」は三日月である鈴木さんが演じてきました。しかしながら今作においては最後に山姥切が語るダメもうムリ思い出してしんど…。今やこのナレーションを聞くだけで泣いてしまう体になってしまった…。

ところで明治座6/4だったかな?6/5だったかな?この時のスクリーンのど真ん中にカーソルあったのミマ忘レナイ……

顕現

注目ポイント

注目してほしい理由

サイコーかっこいいいのでみんな見て!!!!!!!!!!!!!!! (IQ 2)

Opening

歌詞の精度が低いのでいつも歌っている人の口元を見ようと思いつつ涙を拭うのに必死で惨敗した結果がこちらとなります。

糾える 出会いと別れ 行った末に何が見えた

置き去りにされた季節の花染め舞う刀

物語る螺旋の中 ???故に ????? 浮かぶ波紋打ち消して

もう触れないのは美しの色 夜に滲む

繋ぎ止めて 縺れた時 心あるが故に想う

辿るよすが 永き刹那

悲しみに咲いた 花びらひとひら 天に散る

 

繋ぎ止めて 縺れた時 心あるが故に想う

辿るよすが 永き刹那

悲しみに咲いた 花びらひとひら 天に散る

  • 糾える(あざなえる)は最初「贖えぬ(あがなえぬ)」とも「抗えぬ(あらがえぬ)」とも聞こえたんですが、2音目が濁っていたのとGaよりはZaっぽいので「糾える」が正解のような気がします。
    「糾える」の意味は「紐などが寄り合わさった様子」です。「糾える 出会いと別れ」の時点で あっ察し ではないでしょうか。なお、糾えるの慣用句と言えば「禍福は糾える縄の如し」かと思いますがこれは「災いと福とは、縄をより合わせたように入れかわり変転する。吉凶は糾える縄の如し。」という意味ですオッケー次回作の副題は福伝ということでよろしいか?????悲伝の再演でもいいよ。
  • 「置き去りにされた季節の花」は何を指しているんでしょうか?「置き去り」で今回イメージするのは、時鳥と三日月でしょうか…。
  • 歌詞はまだ分からないところも多いので三日月と絡めて考えるのは難しそうです。

内番手合せ、そして刀とは

注目ポイント

  • 「おや 誰か噂しているようだな」「山姥切よ」 少し低めの、良く通る声
  • 山姥切「修行の申し出があった時はまさかと思ったが」ポンッ の音に合わせてポーズするところ、銀河:ポンに合わせず普通にポーズしてました。
  • 明治座~福岡:山姥切に修行を進めるも断られ、自分の手を見て寂し気に笑うところ、青年館~銀河:期待して伸ばした手を自嘲するかのように悲し気に一瞬見る
  • 小烏丸の「刀とは何ぞや」を聞く三日月宗近の表情
  • 山姥切のおやつを食べてしまいガシッと山姥切に詰め寄られる際の表情

 

 

ところで三日月ではないのですが、このシーンの小烏丸の「おお~三日月宗近~~♪」、はちゃめちゃ可愛すぎません!?!?動作もウキウキした声も父めっちゃ喜びよるやん…かわいいかよ…ってなりました玉ちゃんさすがぁ…。

 

ここで力尽きたので、続きはまたいずれ…。

追記:カットミスって本当に中途半端なところで切れてたわろたwwwおもしろいのでこのままにしておきますw)